♪モーニンモーニン‥‥澄んだ歌声が日本中に響いたのは79年のこと。フォークシンガーがドラマに出演し、ヒット曲となるまでがシンクロする珍しいケースだった。岸田敏志(当時・智史)=67=が、貴重な体験を明かす。
──あの尾崎豊が曲作りや歌い方のお手本にしたことで知られています。
岸田 彼がデビュー前、僕の埼玉でのライブに来ていたんですね。終わって出待ちしている女性ファンをかき分けて「あの『蒼い旅』(デビュー曲)はどういう気持ちで作って、どういう気持ちで歌うんですか!」と聞いてくる。あとで尾崎君だと知るわけですが、スタッフの間でも、彼がデビューした時に「イキのいい若いのが出てきたな」と評判でした。
──ご自身のデビューは76年。郷ひろみや南沙織、山口百恵など数多くのアイドルを手掛けた酒井政利プロデューサーのスカウトだったとか。
岸田 カセットテープをたまたま耳にされて、住んでいた京都のアパートまで突然いらしたんです。それで僕に「シングルだけじゃなくアルバムを作りましょう」と言っていただいて。
──いい時代ですね。
岸田 幸い、デビュー曲は秋吉久美子さん主演の「パーマネント・ブルー 真夏の恋」(76年、松竹)の挿入歌となり、その後も映画やドラマの音楽に関わることが多くなって。
──転機になったのは、チャート1位になった「きみの朝」(79年)です。
岸田 TBSの柳井満プロデューサーが、新人歌手のサクセスストーリーをテーマにしたドラマを作ると。「はいはい、劇中の音楽ですね」と答えたら「いや、出演もしてほしい」と言われたんです。
──十朱幸代主演のドラマ「愛と喝采と」で新人歌手・武井吾郎役への抜擢ですね。
岸田 ドラマと現実が完全にシンクロしていました。ドラマは木曜夜10時ですが、その前に人気絶頂の「ザ・ベストテン」をやっていて、注目曲を紹介する「今週のスポットライト」に出たんです。その場面がドラマに使われ、社長役の十朱さんが「吾郎ちゃんが出てる!」とリアクションするところまで、そのままでした。
──実際、すごい勢いでチャートを駆け上がりましたね。そして作詞が、吉田拓郎の「旅の宿」や森進一の「襟裳岬」で知られる岡本おさみというのも意外な組み合わせで。
岸田 岡本さんも作詞家仲間に「英語の歌詞を使ってる」と驚かれたみたいです。実は、ドラマの脚本家の岡本克己さんがお兄さんで、その縁から作詞に決まっていました。
──小学生まで「モーニンモーニン」と歌っていましたね。
岸田 ドラマではあの歌をうまく歌えず、吾郎がレコーディングから逃げ出す場面があるんです。その感情をわからせるために、十朱さんが一度だけベッドをともにして‥‥。朝を迎えると、部屋が白く包まれて「モーニンモーニン」と歌が重なる。
──いい場面ですね。
岸田 あのドラマ自体が曲のプロモーションビデオみたいだと言われました(笑)。でも、ヒットしたのは確かに「チームの力」だったんでしょうね。その直後に始まった「3年B組金八先生」も、僕に主役のオファーがきたんですが、事務所はツアーのスケジュールをびっしり組んでいた。それで同じ事務所の武田鉄矢さんがやることになったんですよ。
──奇妙な巡り合わせですね。その後継となる「1年B組新八先生」(80年)では、晴れて教師役を演じて、さらに92年からは「ミス・サイゴン」など、ミュージカルでも活躍されています。
岸田 本田美奈子ちゃんと一緒だったんですが、僕も彼女もミュージカルの発声を教わるところから始まりました。最初の舞台は、稽古を入れたら2年半がかりで、そのことが今も血肉になっていますね。