●ゲスト:古坂大魔王(こさかだいまおう) 1973年、青森県生まれ。高校を卒業後、お笑い芸人を目指して上京。専門学校で出会った2人と、91年、お笑いトリオ「底ぬけAIR-LINE」結成。「タモリのボキャブラ天国」(フジテレビ系)などで活躍。2003年、お笑いを休止し、芸人時代から活動していたテクノユニット「NOBOTTOM!(ノーボトム)」に専念。クラブイベントなどを行うほか、個人でもmihimaru GTのアルバム・ライブツアー参加、鈴木亜美の楽曲リミックスなどを手がける。08年、ピン芸人としてお笑いの活動を再開。16年、ピコ太郎のプロデューサーとして「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」発表。ジャスティン・ビーバーの目に留まるなどして、YouTubeでの再生回数が1億3000万回を突破。世界で最も有名な日本人の一人になる。17年、タレントの安枝瞳と結婚、現在は一児の父。著書「ピコ太郎のつくりかた」(NewsPicks Book)発売中。
今や全世界にその名をとどろかせる異能歌手「ピコ太郎」の名プロデューサーとして、多忙な日々を送る古坂大魔王。お笑いと音楽を愛し続けた男は、いかにして思いもしなかったビッグサクセスを手に入れたのか? 天才テリーが鋭くその経緯、そしてこれからの展開に迫った!
テリー 今や、ピコ太郎も世界的な人気者だ。
古坂 ありがとうございます。でも、僕はあくまでプロデューサーで、全然別人ですから(笑)。
テリー ハハハ、そうだったね。じゃあ、あらためてプロデューサーとしての立場から、ピコ太郎の大ヒットはどうでしたか。
古坂 「底ぬけAIR-LINE」というお笑いグループでデビューして2年目ぐらいの頃、「天才たけしの元気が出るテレビ」や「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出させてもらっているんですよ。
テリー うん、そうだったよね。
古坂 その時、たけしさんが「この世界で売れる方法は辞めないこと」っておっしゃっていたんですけれどそのとおりだったな、と。まさか海外でお仕事をさせていただくとは思っていませんでしたからね。僕、今は文科省のCCC大使としても活動しているんです。
テリー へえ、何なの、それは。
古坂 CCCは「クロス カルチュラル コミュニケーション」の略で、若者の海外留学を支援するプロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」ほか、他分野・異業種が交差する取り組みをアピールする仕事に取り組んでいるんです。だからマネージャーは今、文科省と外務省にも頻繁に通っていて、本当にわけがわかんないことになっています。
テリー 前にトランプ大統領にも会ったでしょう?
古坂 はい。トランプさんの孫娘さんがピコ太郎のマネをしてくれた動画がありまして、それを「トランプさんとの会話のつかみにしたらどうですか」と安倍総理に進言した人がいて、それがきっかけで、おととし来日した際の晩餐会に招待されました。もちろん僕も、ピコ太郎と一緒に行ってきました。
テリー 安倍首相とのスリーショット写真も、話題になっていたよね。
古坂 晩餐会は基本、テーブルを動いちゃいけないらしいんですよ。でもアテンドしてくれた方が、ピコ太郎にしつこく「写真、撮りに行っちゃえば?」なんて勧めてくれまして。さすがに、彼も最初は「いやいや、まずいですよ!」と断っていたんですけれど、しつこく言われたので、意を決して行きまして。
テリー で、オッケーをもらえたんだ。すごいな。
古坂 ピコ太郎が成功したら、周りも「あ、大丈夫なんだ」みたいな雰囲気になって、トランプさんの前にずらりと行列ができてしまいましたからね。
テリー そんなことになって、トランプさんもさぞ驚いたろうね。
古坂 だからある意味、彼がおごそかな場を完全に壊しちゃったんですよ。まさに晩餐会ブレイカー(笑)。