テリー そもそも、ピコ太郎はどうして誕生したの。
古坂 僕はもともと音楽が好きで、底ぬけAIR-LINE時代からテクノユニットとして活動したり、真剣に音楽に取り組んでいたんですよ。子供の頃から大好きな、とんねるずさんも歌を歌っていたし、ドリフターズさんやクレイジーキャッツさんも、もとを正せばバンドじゃないですか。
テリー うん、実は音楽と笑いって近いところにあるんだよね。
古坂 お笑いの仕事がほとんどなくなった時に、全国のライブハウスを自腹で回っていた時期があるんですが、地方なんかへ行くと同じライブの共演者に驚かされることがあるんですね。例えばある演歌歌手の方はパソコンでカラオケを自作していて、ド演歌なのに曲のバックでピュンピュン電子音が鳴っていたりして。
テリー ハハハ、見た目と音のギャップがすごいね。
古坂 まさにそういう人を見て、おもしろいなと感じたことが一つのきっかけになったんだと思います。
テリー そこからピコ太郎を「見つけた」んだ。
古坂 そういうことです。コワモテの姿で出てきた男が、かわいい歌を歌う、というギャップが笑えると思ったんです。なので、始めた時の衣装は犬の絵の入ったジャージで、もっと露骨にヤクザっぽかったんですよ。ところが、ある関係者の方から「さすがに、あの格好じゃあテレビに出られないぞ」と諭されまして。
テリー ハハハ、そこまでガチな感じだったんだ。
古坂 そこでAmazonで見つけたのが、あの衣装なんです。
テリー え、あの派手な服はネット通販なんだ。
古坂 はい。上下で1万8000円、マフラーはやはりZARAで5000円で購入しました。ビデオは20曲撮って4万円、その他もろもろ、合計10万円ぐらいでピコ太郎の服装はできたんです。
テリー ビデオまで自前で用意したんだね。周りの反応はどうだったの。
古坂 テレビ局や(所属事務所の)エイベックスも含めてたくさんのレコード会社にプレゼンしたんですよ。でも「曲は全部1分で終わります。アルバムに60曲も入っているなんて、おもしろくないですか」なんていきなり言われても、そりゃ通らないですよね。
テリー 俺も「帰れ」って言うと思うよ(笑)。よくあきらめなかったね。
古坂 なぜか僕の頭の中には、「ピコ太郎は2016年にブレイクさせなくちゃ」という意識がずっとあったんですよ。自分がもともとリズムネタ好きというのもあるんですが、藤崎マーケットの「ラララライ体操」、8.6秒バズーカーの「ラッスンゴレライ」といったリズムネタのヒットが脈々とつながっていましたし、それがこの年にまたポンとハジけそうな予感がしたんですね。
テリー うーん、野生の勘みたいなものなんだ。
古坂 実は、その前にピコ太郎が出ている動画が何本かアップされていたんですが、「R-1ぐらんぷり」にピコ太郎を出すことを決めたタイミングで動画を全部消して、新たにビデオを作ったんです。
テリー それはすごい戦略だ。つまり、リセットして再デビューさせたわけだ。
古坂 そうです。テレビの仕事が全然なかった時もインターネットの生放送の仕事はほぼ毎日あったので、そこから出て行こう、と。当時インターネットでのネタ出しなんて、ハッキリ言えば新人か完全に落ち目の人がやる仕事でした。だけど「ここでトップになってやろうよ」と、当時マネージャーと語り合っていたんですね。