3月26日、「ショーケン」の愛称で親しまれた萩原健一さんが、消化管間質腫瘍で亡くなった。67年に「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビューすると、グループサウンズブームを牽引。解散後には、「ザ・タイガース」の沢田研二らとバンド「PYG」を結成する。が、あまりにも強烈な個性がぶつかりあって、わずか1年ほどで消滅してしまう。
その後は俳優としてドラマや映画に引っ張りだこの活躍を続ける一方、75年に初のソロアルバム「惚れた」をリリースするなど、音楽活動にも力を入れた。そんな萩原さんが沢田と組んでいた伝説のバンドが3年前に復活する寸前までいっていたという。
「実は、『PYG』に再結成の話が持ち上がっていたんです。沢田さんは前向きだったのですが、この時すでに萩原さんは体調が良くなかったので、見合わせていました」(レコード会社関係者)
11年から闘病生活を送っていたが、本人の希望で病名の公表などは控えていた。
仕事をしながら病魔と戦っていたショーケンは、その話が出た翌年となる17年に、歌手生活50周年を記念してソロライブを開催した。
「もし話に乗って、バンドを再結成させたとしても、自分の体調でいつ迷惑をかけるかわから、結局『PYG』の再結成はできなかったわけですが、それでも50周年に何としてもファンに歌を届けたかったようです。実際、この頃の萩原さんはドラマの撮影中でも階段をのぼるのもしんどかったと聞いています」(前出・レコード会社関係者)
願わくば、もう一度ショーケンとジュリーがツインボーカルで歌う姿を見たかったものだ。