再びショーケンの豪放な言動を振り返ろう。殉職したマカロニに代わり、七曲署の一員となったのはジーパンこと松田優作(享年40)である。個性はまるで違うように見えて、ショーケンの目には、そうは映らなかった。79年の東京・厚生年金会館のコンサートの楽屋に、その男は現れた。
「松田優作が『健ちゃん、ありがとう!』って興奮した表情で楽屋に飛び込んできたよ。あのツアーの衣装は、バンドのぶんも含めて僕がすべて決めた。アルバムのジャケットにもあるけど、赤いシャツに銀のネクタイ、それにソフト帽をかぶって。優作がその直後に始めた『探偵物語』(日本テレビ系)の衣装、あれとほとんど同じだもんね」
インタビューに答え、自身のパクリであると言いたげだった。
芝居でも音楽でも妥協を許さないショーケンだが、共演が多かった女優・高橋洋子(65)は、興味深い話を披露してくれた。
「75年に『鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い』(ATG)という映画にワンシーンだけ出てくれて、私のアパートに押しかけて犯しに来る男という役だったんです。本人のアイデアでジョン・レノン風の丸メガネをかけ、白い杖もついた『盲人風のレイプ魔』というのを作りあげた。いつも、どんな映画でもそんなことばかり考えていましたね」
87年にヒットした「愚か者よ」は、作家・伊集院静氏(ペンネームは伊達歩)の作詞である。大御所でありながら、容赦はしなかった。
「最初にできあがった詞がイメージ違うなって思って、すべて書き直してもらいました。それから曲が井上堯之さん。こんなイメージがいいよって僕が口ずさんで、それを井上さんが組み立てていった」
本作は近藤真彦との競作になり、マッチ版は同年のレコード大賞に輝く。そんな後輩にもニラミを効かせた、とショーケンは語っている。
「競作は許可したけど、報告がなかったわけ。それが突然、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の番組中に彼から電話がかかってきて『競作ですね』って。俺は『えっ、競作って何?』って言ったもんだから、ずいぶんとあわててたよね」
生放送でマッチが真っ青になったのは言うまでもない。常に音楽と芝居の世界を行き来するショーケンだが、映画監督では熊井啓、神代辰巳、黒澤明などを恩師に挙げた。そして「仁義なき戦い」の深作欣二も晩年になってようやく、「いつかギラギラする日」(92年、松竹)でタッグを組む。テレビドラマでの機会はあったが、映画としての初邂逅はどうだったか──。
「いくつかあった候補のうち、正直、台本ではいちばんつまらなくて、深作さんに『これ、Vシネマみたいだよ』って言いました」
それでも、鮮烈な存在感を見せつけている。劇中で木村一八(49)のノドにナイフを刺し、こんなセリフを吐く。
〈死ぬまで1、2分はかかる。24やそこらで死ぬんだ。最期に好きな歌でも唄いな〉
ショーケンの“辞世の歌”は何であっただろうか。合掌──。