平成の終わりに68年の生涯を閉じたショーケンこと萩原健一が、週刊アサヒ芸能だけに明かしてくれた貴重な秘話の数々を振り返る。
萩原の出世作である「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)の、あまりにも有名な殉職の回のタイトルは「13日金曜日マカロニ死す」であった。1973年7月13日のことである。当時、一般的になじみのなかった「殉職」や「13日の金曜日」を一気に広めたのは、ショーケンの影響力があればこそである。
そしてショーケンは2019年3月26日、忽然と世を去った。GIST(消化管間質腫瘍)という「約10万人に1人の珍しい病気」により、68歳の若さで旅立ったのだ。病気自体は11年に発症しているが、死の2日前にはジムで汗を流すほど元気だっただけに、その生涯と同じく“激変”であった。
ショーケンの出発点は、GSブームの頂点をザ・タイガースと争ったザ・テンプターズである。67年10月、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」が発売されるが、リードボーカルであるはずの萩原が参加していない。
その理由を本誌にこう明かした。
「どうしても歌いたくなかったから、あの曲に関しては僕じゃなく、リーダーだった松崎由治のボーカル。僕が歌ったヤツでは『おかあさん』とかイヤだったなあ。だって『オー、ママママ♪』ってフレーズだぜ」
17歳にして反骨精神の塊であった。さらに、テンプターズに対しても、白タイツの衣装などに違和感を覚え、3年ほどで“強制解散”の道を選んでいる。
4月2日発売の「週刊アサヒ芸能」4月11日号は、そんなショーケン語録を一挙掲載。ファン必読の記事になっている。