麻衣子夫人の存在も大きいという。NAR関係者が話す。
「毎朝4時過ぎに起きて、夫人のいれるコーヒーを飲みながら1時間ほど勉強していたそうです。ここ数年は仲間からのゴルフの誘いも断って早めに帰宅し、コツコツとやってました。息抜きは箱根や伊豆への家族旅行だったそうです」
10年に東京ダービー、帝王賞、ジャパンダートダービーと、驚異の3週連続Vを達成したスーパージョッキーも、ふだんは3人の子供を持つ子煩悩のよきパパだ。
「フリオーソ(帝王賞)の口取り撮影では、子供を膝の間に座らせて一緒にガッツポーズしていましたね。夫人の誕生日にも勝利の約束をし、競馬場に呼ぶことがあるほどの家族思いなんですよ。競馬サークル内の出身ではなく、公務員の家庭に育ったこともあり、かなりの苦労人でしたから」(前出・NAR関係者)
意外にも競走馬との出会いは遅い。中学3年生で進路を決断するまで馬に乗ったことはなく、プロ野球選手に憧れる野球小僧だった。前出・坂巻記者が話す。
「元巨人の緒方耕一さんのファンだった。体が小さくセカンドを守ることが多かったようですが、今の騎乗フォームを見ていても膝の使い方が実に巧みです。あの柔らかさは野球で養われたのかもしれませんね」
そのせいか「内田騎手が剛なら戸崎は柔」と評する競馬関係者も多いのだが、坂巻記者は異を唱える。
「確かに内田騎手はゴールドシップのような頭の高い馬をガツンと抑え込むテクニックにたけた剛腕タイプですが、戸崎騎手のパワーが劣っているわけじゃない。毎日のようにダートでレースを繰り返してきたわけで、十分追える。テクニックに走りたがる中央の一部の若手騎手とは一味違いますよ。そんな剛と柔を備えた彼の一番の魅力は、4コーナーでの瞬時のコース取りのうまさ。内にサッと入り込んで、スルスルと抜け出してゴール板を駆け抜ける」
中央で記録した79勝の内訳は、芝が41勝、ダートが38勝。芝、ダート問わず、堅実な結果を残している。戸崎の所属先となる美浦トレセン担当の専門紙トラックマンがこう話す。
「JRAの成績だけを見ると戸崎騎手の勝率は約8%。中央に移籍する前の岩田騎手や内田騎手が残した記録(10%以上)には若干劣りますが、常にリーディング争いをしている美浦の調教師に言わせれば、『あの先輩2人は勝ちにこだわるし、楽勝のレースでも目いっぱい走らせてしまいがちだった。だが圭太は、次に自分が乗れない場合でも、その馬のさきざきのことを考えて乗ってくれる』と、ハミ受けの柔らかな手綱さばきを高く評価されていました。複勝率なら岩田騎手や内田騎手に決して劣りませんし、そういったところも“アンカツ2世”と言われるゆえんだと思います」