宝塚歌劇団出身女優として、華々しい経歴を持つ檀れい(47)。彼女の地元では、その偉業を盛大にたたえようという計画が持ち上がっていたのだが‥‥。
90年に宝塚音楽学校に入団。当時の成績こそ同期で最下位だったが、その後は目覚ましい成長を遂げる。月組・星組の娘役トップとして輝き、05年の退団後は芸能界でキャリアをスタート。06年に公開された「武士の一分」(松竹)で銀幕デビューするや、日本アカデミー賞優秀主演女優賞の受賞をはじめ、数々の賞を総ナメにした。
この活躍に喜んだのは、檀が宝塚音楽学校に進学するまで育った兵庫県の小さな田舎町だ。
「地元はスターが誕生したことで、12年ほど前に旅館の組合が銅像を建てる計画を立てていました。でも、それに対して檀サイドが拒否反応を示したことで頓挫したそうです」(芸能記者)
地元に取材してみたが、町は合併していたこともあって、当時を知る人物はいなかった。が、檀に近い芸能プロ関係者はこう明かす。
「両親は檀が宝塚デビューしたあとに離婚。父親は地元に残りましたが、母親は京都の男性と再婚しています。それ以降、公式プロフィールに京都府出身と明記してきたほど。そこまで忌み嫌う理由はわかりませんが、兵庫時代について触れると複雑な家庭環境を思い出すのでしょう。銅像が建立されれば、どうしても当時の思い出話が掘り起こされますからね」
生まれ故郷と「決別」した檀は、11年に歌手で俳優の及川光博(49)と結婚する。しかし、新婚わずか2カ月で及川が30代美女とのデートを報じられ、その後も仮面夫婦と言われ続ける中、昨年11月に結婚生活にピリオドを打った。芸能評論家の三杉武氏はこう話す。
「離婚理由について連名でコメントを出した時、〈共に表現者として尊重しあい、笑顔で出した結論です〉と円満離婚を強調していましたが、その後、檀の仕事が順調に増えたわけでもなく、釈然としません。檀は宝塚時代からステージママとして夢を応援してくれた母親を介護するため、家を留守にすることがあった。その間、及川は女遊びに走ることもあり、すれ違いが多くなってしまったようです」
最近の主な仕事といえば、サントリービールのCM「金麦」やテレビのナレーション、ドラマ「科捜研の女」(テレビ朝日系)にゲスト出演したくらい。今のところ、地元・京都から銅像の話が持ち上がることはなさそうだ。