目に焼き付いて離れない衝撃の1コマこそ、名作と呼ばれる漫画の最終回の真骨頂と言っていいだろう。「吉祥寺キャットウォーク」(エンターブレイン)も人気の漫画家・いしかわじゅん氏(62)が、忘れられぬ名作の最終回を振り返る。
「僕たちの年代で真っ先に思い出すのは高森朝雄(梶原一騎・享年50)原作・ちばてつや(74)画による『あしたのジョー』だよね。ラストシーンで、真っ白になってコーナーに座っているジョーの姿は強烈だった」
「あしたのジョー」は、68年から「週刊少年マガジン」に連載された言わずと知れた大ヒット作。ライバルの力石徹が死んだ時には、作品上の人物でありながら葬式まで行われたという、スポーツ漫画の記念碑的作品である。
「『ジョー』は、梶原さんとちばさんのコラボ作品と言ってもいいでしょう。他の漫画家は、原作の梶原さんの意のままに書いていたけど、ちばさんだけが原作に口を挟んでいたんです。ちばさんの魅力は構成力がすごいところ。何か発想を与えられると、それ以上におもしろいモノを作り上げる人です」
最終回のラストシーンで灰になって燃え尽きるジョーの姿も、実はちばのアイデアによるものだったという。
いしかわ氏が続ける。
「同じく梶原さん原作の『巨人の星』(66年)も最後がとても寂しい。飛雄馬が1人で立ち去って行くんですよね。長い影を引きながら。あの終わり方も泣けたなあ」
最終話、生涯のライバル左門豊作の結婚式を見届け、1人寂しく去っていく飛雄馬のラストシーンは胸が締めつけられるようだ。梶原作品のラストは、主人公が悲劇を迎える結末が多いのも特徴だ。
中でも衝撃的だったのが、「タイガーマスク」(68年)だった。
「確か大阪での試合に向かう途中だったかな? 主人公・伊達直人が、子供をかばって車にひかれて死んでしまう。『あんな終わり方でいいのか!?』というラストだった。まさかあの大御所の梶原一騎では、打ち切りはないだろうし、『もしかすると漫画家と何かあったのでは‥‥』と思うくらい不自然だった」
当時の梶原氏は、大御所の漫画原作者として君臨していた。その梶原氏と漫画家の力関係がかいま見えたのが、「少年マガジン」に連載されていた「空手バカ一代」(71年)の突然の“中断”だった。
「ある日連載を読んでいたら、いきなり最終回になっているんですよ。どう考えてもこれからという時なのに‥‥。そして『私ことつのだじろうは、梶原一騎に迷惑をかけたので引退します』といった文面が書かれ、えー! と思いましたよ。つのださんはその頃、連載していた漫画が2つ3つありましたが、なぜか全て終わりました」
つのだ氏はその後、一定の冷却期間をおいて復帰するのだが、当時の梶原氏の漫画業界における影響力がいかに強かったかを表すエピソードでもある。
また、“打ち切り”漫画にもインパクトに残る最終回があるという。
「『週刊少年ジャンプ』で連載されていた車田正美(59)の『男坂』(84年)のラストもすごい。最後のページに“未完”って書いてあるんだよね。大きな筆文字で。たぶん不本意に終わらせられたんでしょう。だって、連載開始の時に『これを描くために漫画家になった』って語っていたくらいだから」
ヒット作「聖セイント闘士星矢」で知られる車田氏も、かつては突然打ち切りの憂き目にあっていた。あの力強い“未完”の2文字は、彼の心の雄たけびなのだろうか。
「ジャンプの歴代最終回では、他にもすごいのがあります。武井宏之(41)の『シャーマンキング』(98年)は、最終回のラストページの“おわり”の文字の右隣に果物の“みかん”の絵が描かれ、漫画が“未完”であることをアピールしていた」
原作者との確執、打ち切りを迎えた苦悩。漫画の最終回の裏には、悲しいドラマが数多く隠されていた。