テリー 今は声優といえば花形のお仕事という印象ですけれど、当時はどうだったんですか。
小林 今はもう別に気にすることはないけど、その頃だと「なんだお前、俺は声優じゃねえよ!」なんて言っていたもんでね。
テリー なるほど、声の仕事も含めての“役者”という意識だったんですね。当時の吹替仕事といえば、「ローハイド」「ララミー牧場」みたいなアメリカのテレビドラマですよね。ギャラはいっぱいもらえたんですか。
小林 そんなによくないですよ。たしか当時で3000円ぐらい。忙しいヤツはそれを何本も掛け持ちする感じで。
テリー いやいや、たぶん当時の大卒の月給が3~4万円ですから、1日で3000円ってすごいですよ。
小林 そう言われると、もっと安かったのかな? とにかく最初の頃は全然ダメ、端役だから。「コンバット!」の兵士A・Bみたいな、そういうのばかりでしたよ。
テリー ああいうのって、A・Bってセリフを振り分けていても、同じ人がやっている時がありますよね。
小林 ええ、当時は吹替の現場なんて役者の扱いも雑だし、実にいいかげんなものでしたよ。録音スタジオなんかも地下のひどいところにあって、その中にマイクが1本だけ天井から下がっている。収録時には役者が順番に上を向いてパクパクやるんです。ちょうど金魚がエサを食べるみたいな感じですよね(笑)。
テリー アハハハ、マイクの奪い合いだ。
小林 そうそう。しかも役者が大勢いるから、マイクの下に急いで入るのが大変で。俺はあまり経験がないんだけど当時は生放送での吹替もあって、聞いた話だと、自分の場面でマイク下に行くのが間に合わなくて、男性が出ているシーンなのに女性が代わりにそのセリフをしゃべったって。
テリー 黎明期ならではのエピソードですね(笑)。実は僕も声優の仕事を何度かやらせてもらったことがあるんですけれど、英語のしゃべりに日本語を合わせるって、思った以上に難しいですよね。しかも、それを生放送で一発勝負って、僕なら逃げ出しますよ。
小林 でもその頃は収録日の朝に台本もらって、1回通しでリハーサルやったらすぐ本番、みたいな感じでしたからね。
テリー 打ち合わせとか、演技指導みたいなのは。
小林 ハハハ、そんなのないですよ。ディレクターが「この役者はこういう声を出して、こういう演技をする」というのが、だいたいわかっていて、役を割り振ってくれているんです。
テリー じゃあ、基本的に演技はお任せで、実際には生放送とか関係なく、ほぼ一発勝負なんですね。特に気をつけなきゃいけないことはありましたか。
小林 日本語より英語のほうがしゃべるスピードが速いでしょう。それで、ついこちらも早口で進めて時間が余っちゃう、なんてことがありましたね。気が利く翻訳家はそれがわかっているから、日本語のセリフを少し長めに書いてくれるんですよ。そっちのほうが演じる側も調整しやすいし。
テリー 今はさすがにそんなことはないでしょう。
小林 うん。長編映画だとだいたい2日ぐらいに分けて録る感じ。どこかでトチっても、そこだけの修正ができるからね、やっぱり気は楽ですよ。昔はそうはいかなかったから。