7回裏に刻まれた1点の理由を、NHKの実況アナウンサーも、解説者も一瞬、理解できていなかった。
それは2012年第94回夏の選手権大会6日目の第2試合、2回戦の済々黌(熊本)対鳴門(徳島)の一戦で、7回裏の済々黌の攻撃が終わった時のことであった。
試合は3回裏、済々黌がランナー3塁から1番・松永薫平の三ゴロで「ゴロゴー」を敢行し、1点を先制。続く4回裏にも5番・西口貴大のソロで加点。直後の5回表に2年生エースの大竹耕太郎(福岡ソフトバンク)が1点を返されるも、同点は阻止。済々黌が2‐1とリードして後半戦を迎えていた。次の1点がどちらに入るかで、試合の流れが決まる。そんな雰囲気になっていた。
そして、その場面が7回裏に訪れる。済々黌の攻撃で1死一、三塁と貴重な追加点のチャンス。ここで打席には2番・西昭太朗。済々黌ベンチは一塁走者との間でヒットエンドランを仕掛けるが、西の当たりはライナーとなってショートを襲った。この打球を鳴門の遊撃手・河野祐斗がジャンピングキャッチ。そしてすかさず一塁へ送球。エンドランがかかっていたため、一塁走者は戻りきれずにアウト。併殺が完成し、3アウトチェンジ。鳴門がピンチを脱出した…はずだった。ところが、この直後、スコアボードの7回裏の部分に1点が入っていた。済々黌にとっては貴重な追加点である。途端にキツネにつままれたような顔になる鳴門ベンチ。
この1点のポイントは済々黌の三塁走者・中村謙太の走塁にあった。鳴門の遊撃手・河野がライナーを好捕した場面。普通なら併殺を防ぐために三塁へ戻るのが基本だが、中村は戻るどころか加速して一気に本塁へ向かったのである。一塁アウトよりも早く本塁を踏むためだった。「捕った遊撃手が一塁を見たので、いけると思いました」とは試合後の中村の談話だが、実はこれは守備側の鳴門がアピールすれば認められない1点であった。中村はそれを承知で仕掛け、奪い取ったのである。
これは野球規則にあるアピールプレーの一つ。この時、三塁走者だった中村にリタッチ(元にいた塁に戻って触れ直す行為。外野への犠牲フライの時によく見られるプレー)はなかった。そのため、鳴門が三塁にボールを送って「三塁走者の離塁が早かった」とアピールし、第3アウトを三塁で置き換えればこの得点は認められなかったのである。しかもアピールできるのは守備側がフェアグラウンドを離れる前まで。この試合の球審は鳴門ナインがベンチに戻ったのを確認(アピール権の消滅)して、得点が入ったことを球場側に伝えた。こうして7回裏に“1”が記されたのである。
済々黌は熊本県が誇る屈指の文武両道の名門校。進学校らしい頭を使ったプレーで、日頃から野球規則を熟読していたという。シートノックにはアピールプレーも組み込んだ。だからあそこで三塁にボールが転送されたら仕方がなかった。わかってやった好走塁。さらに中村はこうも付け加えた。
「このルールは漫画の『ドカベン』を読んで知っていたので迷いなく走れました。3アウトになったあと、鳴門ナインが早くベンチに戻ってくれることを祈ってました」
漫画「ドカベン」の35巻では、1死満塁からのスクイズが投手への小飛球となり、飛び出した一塁走者の山田太郎(本編の主人公)が戻りきれずにアウトとなったが、この間に三塁走者の岩鬼正美がホームインしている。それを小学生の時に読んでいた中村は「(甲子園で)岩鬼になってました」と笑った。
試合は結果的に、2年生エースの大竹が鳴門打線にわずか4安打しか許さず1失点完投。3‐1で勝利した済々黌が3回戦進出を決めた。だが、続く試合では藤浪晋太郎(阪神)‐森友哉(埼玉西武)の強力バッテリーを擁し、史上7校目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭の前に2‐6で完敗。それでもあの「ドカベン」のプレーを再現したチームとして高校野球ファンの脳裏に深く刻まれることとなったのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=