現在では両チームとも2回表裏の自チームの攻撃前に校歌が流れるが、やはりそうは言っても春夏の甲子園で歌う母校の校歌は勝利の証しである。
今大会、初出場を果たしたチームは6校あったが、初戦を突破したのは津田学園(三重)のみだった。2回戦で敗れてしまったが、待望の夏の甲子園初勝利。さぞや嬉しい校歌斉唱だったに違いない。とはいえ、長い甲子園の歴史の中では勝利したのに校歌を歌えずに甲子園を去っていった不運なチームもある。
そのチームとは88年第70回大会で初戦に勝った滝川二(兵庫)。高田(岩手)との試合は序盤から滝川二のペースで進み、8回裏2死の時点で9‐3とリードしていた。しかし、試合開始から降り続いていた雨が一層強くなり、試合は中断。11分間の中断の後、降雨コールドゲームで滝川二の勝ちが宣告された。夏の大会では実に56年ぶりのコールドゲームだった。そして状況が状況だけに大会本部の判断で校歌演奏や校旗掲揚は省略されてしまう。その後、滝川二は2回戦の東海大甲府戦(山梨)に3‐5で敗れてしまい、1勝したにもかかわらず、校歌を歌わずに甲子園を去るハメになってしまった。
だが、そんな滝川二に対してイキな計らいをしたのが、「熱闘甲子園」(ABC系)のスタッフだった。高田に勝利した日の放送の冒頭で校歌が流されたのだ。そしてこの時から実に苦節11年。99年の第81回大会で2度目の夏の甲子園出場を果たした滝川二は初戦の東邦(愛知)戦で6‐5で勝利し、夏の甲子園で初めて校歌を歌うことができたのである。
ただ、滝川二は87年第59回大会で春の選抜初出場を果たしていて、その時に初戦で富士(静岡)を3‐0で降しているので、春の甲子園ではひと足先に校歌を歌ってはいたのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)