テリー そもそも、どうして映画監督を目指したんですか。
上田 僕は滋賀県の田舎町出身なんですが、そこって本当に何もないところで。しかたなく、友達のお父さんが所有している映画を録画したビデオテープをレンタルビデオ代わりに借りて見ていたおかげで、映画が好きになったんです。
テリー どんな映画が好きだったんですか。
上田 ベタに「タイタニック」「インデペンデンス・デイ」「アルマゲドン」あたりの大作から入って、中学生ぐらいになるとクエンティン・タランティーノの作品みたいな作家性のあるハリウッド映画にハマッていきました。そこから親父のハンディカメラを使って放課後に自主映画を撮り始めたんです。
テリー え、いきなり撮り始めたの。
上田 はい、だから映画の学校とかには行ってないんですよ。全部独学です。
テリー そこからプロになるために、何をしたの。
上田 最初はもうハリウッドに行ってしまおうと思って、まずは英語を勉強しようと大阪の専門学校に行ったんですけど、なじめなくて中退しまして‥‥その頃に「北野武詐欺」にあったんですよ。
テリー 何、それ(笑)。
上田 僕が高3の時に作った戦争映画を見た、焼肉屋のバイトの先輩が、「俺はオフィス北野の部長と知り合いだから、これを見せてやる」と言ってくれたんですよ。しかもそのあと「たけしさんも見てくれて、オフィス北野に来てほしいそうだぞ」みたいなことを言われちゃったんですね。
テリー わぁ、ドキドキするね。
上田 それを完全に信じてしまって、実家に「俺、オフィス北野に行くことになったから」なんて電話までしたんですけれど、そのおじさん、虚言癖があって全部ウソだったんですよ。
テリー ワハハハ、それはキツイね!
上田 あとで考えると、おかしいわけですよ。本人いわく「焼肉屋でバイトしているが、昼は飛行機のパイロットで、あそこにある高層マンションの12階のフロアは全部俺のものだ」なんて言ってましたから(笑)。
テリー それ、どう考えてもウソ丸出しの内容じゃないの(笑)。
上田 その時は本当にピュアだったもので‥‥そこから「もう待ってられない、映画監督になるんだったら東京だ!」と思ったもののお金がなくて、結局、ヒッチハイクで向かうんです。
テリー いちいちドラマチックだなァ。
上田 そして最後に車に乗せてくれた人に、「映画監督になるには、どこに住んだらいいんですか」と聞いて、教えてもらった下北沢に住み始めたんです。
テリー すごい、もうここまでの経緯がすでに1本の映画になるよ。下北沢に住んで、何か御利益はありました?
上田 住んだところが本物のボロアパートで、カギはないし、大家さんに頼んだら「そこの100均ショップで南京錠買っといで」って言われましたから。
テリー アハハハ! 平成の話とは思えないよ!
上田 そのあと、同じアパートのおじさんに「裏ビデオ、見るか?」って貸してもらったものの、まだ家具も何にもないから、東京初日の夜は裏ビデオと並んで寝たんです(笑)。
テリー おもしろい! でもそういう経験は、あとの人生ですごいパワーになりますよね。
上田 そうですね。今回の映画も自分がマルチ商法にダマされた経験が生かされていますから(苦笑)。