テリー 当時のピンク映画の現場というのは、どんな雰囲気だったんですか?
山本 とても活気がありましたよ。松竹や東宝、大映などの大手5社やフランス映画のヌーヴェルヴァーグなんかより、よっぽど斬新で過激でしたから。
テリー 新しい才能や表現が、どんどん出てきた時期ですもんね。
山本 チーフ助監督になると、予告編を撮らせてもらえるんですよ。今だと本編のシーンを編集して作るけど、当時はチーフ助監督が独自に撮影できてね。短いとはいえ自分の作品だから、うれしいんだよ。
テリー へぇ~! すごく贅沢だなぁ。
山本 本番中に「ここ」と思う場面があったら、「監督すみません、予告編いただきます」とか言って撮影させてもらってね、監督も現場を空けてくれるんだ。この予告編の出来で演出力を認められれば、監督に昇格できるかもしれないから、まさに腕の見せどころなんですよ。
テリー それは気合いが入りますね。
山本 でも、初めて予告編を作った時に問題が起きちゃってね。ふと思いついて、レイプされた女性が全裸になって、井戸端で水をかぶって身を清めるという場面を撮ったら、そこで映倫と揉めちゃったんだ。
テリー そりゃまた何でですか?
山本 予告編でそういう場面を見せてはダメだ、と。恐らく全裸が引っ掛かったんだろうね。
テリー そんなインパクトもあって、25歳の若さで早くも監督デビューを果たすんですね。
山本 当時は5社の監督も会社に内緒で名前を変えてピンク映画を撮ってたんだけど、当初予定されていた監督がどうやらクランクイン直前に会社にバレて連れ戻されちゃったみたいで、チーフだった僕が急きょ抜擢されたんです。まあ、運がよかったんですよ。その時のプロデューサーに「3本までは面倒見るから、その中で1本でもヒットしたら、監督として認める」と言われてね。で、3作目がヒットしたから、そのまま撮り続けられたんだよ。
テリー やっぱり才能があると思いますけどね。しかもデビュー作の主演は、3大ピンク映画女優の一人、松井康子さんじゃないですか。日本的な美人で、僕も大好きでしたよ!
山本 彼女は助監督時代からなぜか僕を気に入ってくれてね、「アンタが監督になる時は必ず主演してあげる」って言われてたんですよ。実は最初、別の女優が決まってたんだけど、電話したら「もちろん、出演させてもらうわ」と。
テリー いい話だなぁ。
山本 会社も喜びました。「それだけの女優が出てくれるなら文句ない」って。
テリー その後たくさんの作品を撮られましたけど、やっぱりカントクの代表作といえば大ヒットした「未亡人下宿」シリーズですよね。それまで、どちらかと言えば湿っぽいイメージだったポルノ映画に、くだらないギャグをバンバン入れて。
山本 フフフ、おもしろかったでしょう?
テリー あれで、映画ファンや若者たちが「山本晋也はスゴい!」って盛り上がったんですよ。まさに、日本のポルノ映画の価値観を変えた作品でしたね。
山本 自分では、そういう意識はなかったですけどね。若いうちから好きなことをやって、またそれが許された時代だったので、やっぱり運がよかったんですよ。当時の映画監督といえば、撮影所で何十年も修業してなるものでしたから、ある夜、ゴールデン街で飲んでたら、隣にいた東映の50過ぎの助監督に「お前に俺たちの苦労がわかるか!」って泣かれました(笑)。