衝撃の死から12年。生前に書き残した歌詞の創作メモや未公開を含む90点もの写真などが収録された、フォトブック「永遠~君と僕との間に~」が10月24日に発売され、その存在に改めて注目が集まっている、ZARDの坂井泉さん。
「負けないで」「揺れる想い」などの大ヒット曲で知られる歌姫の最期は、がんで闘病中だった病院での転落死という、ファンにとって二重にも三重にもショッキングなものだったが、今も多くの関心を呼んでいるのは、やはり「自殺説」や「事故説」が飛び交った、その死の真相についてである。当時の取材メモなどを振り返りながら、真相に迫る。
「坂井さんが、東京・信濃町にある慶応病院の敷地内で、仰向けに横たわっているところを発見されたのは、2007年5月26日。その場所は、入院病棟脇の、非常階段代わりのスロープの下で、坂井さんは、この2階部分の高さから転落し後頭部を叩きつけてしまったのだという。ただ、3メートルの高さから落ちて自殺しようとすることは考えにくく、単純に事故とも取りづらい状況だったんです」(芸能記者)
坂井さんはただちに集中治療室に運ばれたというが、すでに意識はなく、翌27日の午後3時過ぎに静かに息を引き取った。
すると所属事務所は、28日にすぐに、公式ホームページ上で以下のように訃報を伝えたのだった。
〈坂井さんは、昨年6月、子宮頸癌を患い、都内某病院にて、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っておりました。摘出手術により、一度は快方に向かっておりましたが、子宮頸癌の肺転移が認められ、今年4月に再入院を余儀なくされました。(中略)ここ最近は、早朝に病院の敷地内を散歩するまでになり、気丈にも体調回復のための日課としておりました。5月26日早朝、病室に戻る途中、階段の踊り場(約3メートルの高さ)を通った際、前日の雨により足を滑らせて転倒、後頭部を強打したことが、直接の死因となりました〉
所属事務所としては、少しでも早くファンに伝えたいという思いからのことだったかもしれないが、結果的に、これが坂井さんの死の“謎”を深めることになってしまったのである──。
(露口正義)