通常、歌謡曲は「詞先」か「曲先」と呼ばれる手法で、先にできあがったほうに沿って仕上げてゆく。ところが「瀬戸の花嫁」は、詞も曲も別々に進めたと平尾は言う。
「それを突き合わせたら、サビまでは直さなくていいくらいピタリと詞とメロディが合っちゃったんだ」
デビューからの売上げが134万→50万→23万と下がっていたところを、再び74万枚と盛り返す。数字だけでなく、楽曲の高い評価は「国民的歌謡」の名にふさわしいものとなる。そしてルミ子がレコ大の前哨戦と呼べる「日本歌謡大賞」を制したのは、11月16日のことだった。
独走レースと思われた大みそかに向け、忽然と上昇してきたのがちあきなおみが歌う「喝采」である。
〈いつものように幕が開き 恋の歌うたう私に 届いた報せは 黒いふちどりがありました‥‥〉
ルミ子が冠婚葬祭の「婚」なら、歌謡界には異質の「葬」をテーマにした歌詞。作曲者の中村泰士が「黒いふちどり」のフレーズに難色をしめしたが、作詞の吉田旺は譲らない。
それならばと中村も讃美歌の「アメージング・グレイス」などを下敷きに、スケールの大きなメロディを完成させる。さらに編曲者の高田弘は、従来の歌謡曲にない実験を試みる。
「イントロはエレキギターをトレモロで弾いて、さらにファズの音を重ねて、少しにごらせながらも重い雰囲気を出した。泰士さんとは仲が良かったから、彼の『ゆったりした感じでドーンと行きたいなあ』って要望に応えた形です」
とはいえ「喝采」の発売は9月10日である。ルミ子の「瀬戸の花嫁」より5カ月も遅く、また、それまで9月発売の曲が大賞に輝いた例もなかった。
ちあきは「喝采」にたどり着くまで、6作連続でシングル売上げが10万枚以下という低迷期に入っていた。それが「ドラマチック歌謡」と称された楽曲を得て、売上げの急上昇とともに賞レースの一角に食い込んでいく。
ちあきが所属した「日本コロムビア」は、この年、当時のレコード売上げを更新する「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)も出していたが、賞レースに関しては「喝采」に一本化。事務所の規模ではルミ子の「渡辺プロ」に対し、めぼしい歌手がちあきしかいない「三芳プロ」では勝負にならない。ただし、老舗のコロムビアと新興の「ワーナー・パイオニア」というレコード会社の争いなら、ちあきの側に分がある。
情勢が刻一刻と変化してゆくのを、ルミ子の詞を書いた山上は感じていた。
「今年のレコード大賞は確実です」
秋口には塩崎ディレクターから聞かされていたが、暮れが近づくと一変する。
「ガミさん、あきらめてください。相手はコロムビアで一丸となっていますから、かないません」
山上は授賞式に顔を出しているが、内心はあきらめていた。それでも、ふとルミ子の顔を見ると、大賞を意識して緊張している。とても本音など明かせず、静かに見守ってやるしかなかった。
ところが“事実”は意外なほうへ転がっていた。