数々のイケメンや怪しい闇紳士との関係を経て、沢尻の男の好みは徐々に変わってきたようにも見えた。
「ある時期から、男について『30代はまだ子供と一緒』などと公言するようになりましたよね。それをまた20歳そこそこの小娘が言っていたのですからお笑いですが、あれだけの美貌とスタイルを持ち、実際に男たちを夢中にさせてきた彼女に、正面から物を言える若い男はなかなかいなかったのでしょう。その物足りなさから、当時の沢尻が大人の男に興味を持つようになっていったことは、自然な流れだったのかもしれません」(ワイドショー関係者)
そうした関係に、当時は市川海老蔵の名前までもが浮上した。
「友人らも交え、麻布界隈で海老蔵と食事をしている現場が、複数回、目撃されました。また、歌舞伎界では中村獅童とも交流があったはず。“別に…”騒動のバッシングの中、母親のリラさんが獅童に相談をしていたことがわかっていますからね」(芸能記者)
そんな沢尻が結婚相手に選んだのが、当時44歳と22歳年上で、ハイパーメディアクリエイターという肩書きで知られていた高城剛であった。だが、この出会いも、また沢尻の人生を大きく左右するものであったことは間違いない。
「2人の出会いは高城がDJをしていたクラブ。常にハイテンションで沢尻が触れたことのなかった知識や情報を楽しそうに語り、新たな価値観をもたらしてくれた高城に、沢尻が心酔していき結婚へと至ったのです」(前出・芸能記者)
この結婚を前後して、女性誌に小橋賢児との“泥酔クラブキス現場”が伝えられているのはご愛嬌──ということか。
(露口正義)