グラビア界に衝撃を与えたのが、00年代に過激なポーズを連発し、艶っぽい「テロリスト」という意味の異名を取ったインリン(43)である。現在は台湾に在住しているが、特別インタビューで元気な姿を見せてくれた。
──当時は「インリン・オブ・ジョイトイ」の名前でしたが、その名を一躍有名にしたのが「M字開脚」でしたね。水着だけでなく、着衣でも決めポーズとして定着させた。
インリン もともとカラダが硬いほうでしたので、M字開脚での撮影はけっこう大変でした。なので、撮影前はストレッチをしたりしました。
──まったくそうは見えず、軟体そのものと思っていたのに。
インリン 皆さんも一度やっていただけたらわかると思いますが、M字開脚のポーズを2、3分キープするのはけっこう難しくて、脚がプルプル震えたりするんですよ。なので、顔の表情はキメているつもりでも、心の中は「ヤバイ、もう無理!」なんて、いつもヒヤヒヤな状態でした。
──人に歴史ありというか、M字開脚にも歴史ありですね(笑)。さらに転機となったのが、プロレス団体「ハッスル」への参戦。
インリン デビュー当時から艶っぽくて強い女性像を常に意識して撮影に臨んでいましたので、プロレスのお話をいただいた時は、すっごくうれしかったです。「インリン様」という、まさに私自身がなりたかった憧れの女性像を、プロレスの世界でかなえることができる! 衣装は毎回、私自身がデザインをして、スタイリストさんに作っていただきました。そのくらい気合いが入っていました。
──タレントの余技ではなく、絶大な支持を受けましたね。
インリン 最初はプロレス素人の私がリングに上がるのはどうなんだろう、とも悩みました。でも、プロレスのファンの方に、最後の「インリン様引退試合」の日まで、ずっと温かい声援を送っていただき、すごくうれしかったし、いい思い出になりました。
──いい話ですね。では、近況をお聞かせください。
インリン 8年前に家族で台湾に引っ越しました。子供は長男が9歳、男女双子が6歳です。今は3人の子育てに追われる日々を過ごしながら、ここ何年か、少しずつお仕事をさせていただいてます。
──どういったお仕事を?
インリン グラビアやテレビ、コラム、最近はYouTubeの配信も始めました。台湾旅行に来られる日本の方が多くいらっしゃるので、食べ物、文化、観光地などをメインに紹介しています。
──日本での「艶テロリスト復活」はいかがでしょうか。
インリン 19年4月、10年ぶりに「週刊プレイボーイ」でグラビア復活させていただきました。艶っぽい写真を撮られることがやはり好きですし、これが私も自身の生きる原動力になります。これからも見てくださる方がいるかぎり、ずっと続けていきたいと思ってます。
──「ビターン!」と応援します。