71年にデビューし、ほんの1年ほどの活動で忽然と姿を消したフラワー・メグ(68)。実は、日本で初めて「あんなこと」をやらかしていた。
──デビューから50年近くたっているのに、変わらずファッショナブルですね。
メグ ずっとお仕事は休んでいたけど、15年前に離婚してから精力的なの(笑)。CDもアナログレコードも出したし、19年9月には私が座長となって舞台公演もやりました。
──それにしても幻の存在としては最たるもので、現役時代を記憶する人も少ないでしょう。
メグ そうなの。デビュー1年で引退して、とっとと結婚しちゃったから。
──ただ、短い活動期間でも鮮烈な作品の数々が。まず世に出るきっかけが、NET(現・テレビ朝日)が「11PM」(日本テレビ系)に対抗して始めた「23時ショー」のカバーガール。
メグ 私は赤坂のゴーゴークラブで踊っていて、それを見たディレクターから「どうしても出てほしい」って。さらに「向こうはイレブンだから、こっちは23時だ」って、対抗意識も鼻息荒くて。
──番組ではどんな役割だったんですか?
メグ ゴーゴークラブと同じで、ただ踊っていたわよ(笑)。それで私、「11PM」よりも先に、というか日本のテレビ番組で初めて上半身を脱いだ姿になったの。
──それは視聴者も大喜びだったのでは?
メグ まだそんな時代じゃなかったから、放送直後から局には「二度とテレビで脱いだ姿を見せるな!」と、抗議の電話が鳴りっぱなしだったそうなの。
──そんな時代だったんですね(笑)。ただ、映画では脱いでも怒られることはないはず。
メグ 新藤兼人監督の「鉄輪」(72年、近代映画協会)では、観世栄夫さんと2人で出ずっぱりだったけど、ほとんどが脱いだ姿だったわ。他にも梅宮辰夫さんの「不良番長手八丁口八丁」(71年、東映)などに出て、梅宮さんとのカラミもやったわ。
──当時は映画界きってのプレイボーイ。口説かれなかったですか?
メグ 梅宮さん‥‥私はお兄ちゃんって呼んでたんだけど、クラウディアさんと知り合ったばかりで、「冷蔵庫の中があんなに整理されている女は初めてだ」って言って、そのまま結婚したことが印象深い。むしろ安岡力也のほうが口説いてきたよ。もちろん断ったけど(笑)。
──梅宮辰夫は19年12月12日に、惜しまれつつ81年の生涯を終えました。
メグ とても残念だったわね…。私は撮影の時にいつも「メグ、ここに座れ」って言われて、お兄ちゃんの膝の上で出番を待つのが指定席だった。3年前には「不良番長」のイベントに呼んでもらったし。
──思い出を胸に、また新たな創作活動に励んでください。