暴力と肉欲にまみれた、紳助親分の足跡は騒動 以降、さまざまな角度から明らかとなってきた。 しかし、暴君の野望は想像以上に果てしなかっ たようだ。さながら「非道盃」の「血風録」 は、まだまだ話が尽きないのである。
芸人として島田紳助(55)が好き放題やってきた足跡は、ある意味で伝説の芸人と符合する。のちの権力者は、その背中をどう見てきたのだろうか。今は亡き大親分・横山やすし(享年51)にとっては、天下の紳助親分といえど単なる舎弟の一人だったのである。
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ベテラン芸能記者が言う。
「芸風で2人を比べてみると、どぎつい言葉を駆使するスタイルは一見、似ているように見えます。しかし、やすしは売れ出した頃の紳助竜助に『お前らのはチンピラ漫才や!』と格が違うということを伝えるかのように一喝したんです」
ところが、ここで紳助がうまく切り返したという。「『やすきよの漫才はダービー。僕らには出場できないレースです。だから僕らは種目の違う障害レースで1位を狙っています』とね。もしかしたら、やすしは紳助の実力に脅威を感じて、ビビらせようとしたのかもしれない。でも、ここまで持ち上げられたら悪い気はしないでしょう」(前出・ベテラン芸能記者)
自身は下に厳しい紳助だが、おそれおおいやすしを相手に程よい距離を取った「舎弟」となることに成功したようだ。
口八丁で芸能界のトップへと上り詰めた、紳助らしいエピソードである。
96年1月、やすしが急逝すると、紳助は当時を思い出すように、こんな言葉で追悼の意を述べた。
「漫才ブームの時に、漫才のことで2~3時間、議論したことがあった。それで認めてくれて、白のつなぎを買ってくれたんです。僕らには怖い以外の何者でもない人だった。雲の上の存在でした」
「白のつなぎ」は、やすしから紳助への「盃」継承だったのだろうか。
確かに度重なる暴力ざたや愛人問題など、芸人として常識にとらわれない部分だけは確実に継承されているように見える。
とはいえ、芸能レポーターの石川敏男氏は、2人を比較してこう評した。「やっさんには金がなかった。宵越しの金は持たない人で、あればギャンブルにつぎ込み、セスナを買ったりもしました。一方で紳助は、蓄財がうまかった。そして私利私欲に走ったんです。ここは決定的に違うと思います」
あるいは紳助が金を貯め込み、副業に精を出すのはもしかしたら、大親分・やすしを反面教師としたからではなかっただろうか。