テリー 当時のタモリさんってイグアナとか四カ国語麻雀とかやっていて、マイナーで深夜の香りがしていたから、お昼番組の起用なんて大英断ですよね。
銀次 僕も「ウソだろ?」って驚きました。ばんばひろふみさんの「SACHIKO」を書いた、小泉長一郎さんの歌詞がもうできていて、それを読んだら、小学校の頃に見ていた「シャボン玉ホリデー」の最後に全員で「明日があるさ」なんかを歌うシーンが、すぐ頭に浮かんだんです。
テリー へぇ~。
銀次 そのイメージが昼間のバラエティーショーにピッタリだ、と話したら、横澤さんも「いいですね!」と言ってくださって。家に帰って書き始めたら20分でできちゃいました。
テリー 20分でできた曲が30年以上流れるなんて、おもしろい話だなァ。印税なんかもその間、もらえたんですか。
銀次 その点では、僕はラッキーだったんですよ。普通、番組のテーマ曲って買い取りなので、ギャラをもらったらそこで終わりなんです。ところがこの曲は、初代「いいとも青年隊」がレコードを出すことになったおかげで印税契約することができたんです。
テリー あと、銀次さんといえばもう一つ、「三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)」の審査員としても有名ですよね。
銀次 ああ、あれもあんなに人気が出るとは思わなかったなァ。生放送なのにいきなり女の子がパンツを脱いじゃったり、マネキンの首をチェーンソーで切っちゃうようなヤツがいたもんだから、「これはとんでもない番組だ!」と一風堂の土屋昌巳君が審査員を辞めてしまって。そのあと、あらためて僕に話が来たんです。
テリー 銀次さん自身は、そういう内容は嫌じゃなかったんですか。
銀次 僕は逆にその頃、インディーズにすごく興味があって、自分のラジオ番組でもよく特集をしていたんですよ。新しいバンドをタダで見られて、しかもギャラまでもらえるなら「ぜひ!」という感じでした。
テリー あっという間に人気番組になって、審査員の銀次さんたちも注目されましたよね。辛口の吉田建さんとのコンビぶりは、見ていて楽しかったですよ。
銀次 当時、上原謙さんと高峰秀子さんが出ていたJRのCM、フルムーンっていうのがあったでしょう。あれをイカ天の審査員5人でやりませんか、なんて話もあったんですよ。結局、みんなで相談して断りましたけれど。
テリー えー、やればよかったのに!
銀次 フフフ、本当ですよね、やっとけばおもしろかったのに。でも、1年ぐらいしたら萩原健太さんが「本業の音楽評論の仕事に戻りたい」と。あまりの番組の人気で審査員長のイメージが大きくなりすぎて、嫌になっちゃったんでしょうね。その時点でバンドもあらかた出尽くしていた印象もありましたし。
テリー 毎週あんなに出場していたのに、ですか。
銀次 1年で500~600くらいのバンドが出た計算になるんですが、最初はいいバンドばかりで悩みに悩んでいた審査が、今度は逆にいいバンドが見つけられなくて悩み始めた。それに加えて、審査員を一つにまとめてくれていた健太さんがいなくなるのなら、僕たちも一緒に辞めよう、ということになって、みんなで番組を降りたんです。