天才・武豊騎手が日本ダービーに初騎乗したのはデビュー翌年の88年、16番人気のコスモアンバーで、結果は16着だった。それから数えること8回、デビューしてから10年が経っても「ダービージョッキー」という栄光だけは、手中に収められずにいた──。
武にとって、ダービーで初めての1番人気の騎乗馬となった1996年のダンスインザダークは首差の2着、翌年のランニングゲイルは5着に終わった。
「武豊はダービーだけは勝てない」
いつしか、そう言われるようになっていた。
──次にダンスインザダーク級の馬でダービーに臨めるチャンスは、一体いつ来るのだろう。そう思っていた彼の前に、端正なルックスの、細身の馬が現れた。
スペシャルウィークである。97年11月、旧3歳新馬戦に向けた追い切りで、彼は初めてこの馬に跨った。
ゲートから1マイルの追い切りで、走らせてすぐ、底知れぬ可能性を感じた。素晴らしい乗り味で、スタミナもあり、104秒ほどの好タイムが出たのに、まったく息を乱さず、ケロッとしている。
──ダービーを勝つのは、こういう馬なのかな。
武は、2年前に牧場で跨ったダンスインザダークの背中を思い出しながら、日本ダービーのゴールが、再び手の届くところに近づいてきたのを感じた。
彼は、芝1600メートルの新馬戦でも、1800メートルのきさらぎ賞でも、東京芝2400メートルのダービーで勝ち馬が刻んだものに近いラップでスペシャルウィークを走らせ、東京の長い直線で武器になる瞬発力に磨きをかけた。ダービーを勝つための「英才教育」である。
スペシャルは、そうしてダービーで最大限に力を発揮するための走りを習得しながら賞金を加算するという、難しい課題をクリアしつづけた。
皐月賞は荒れた馬場に持ち味を封じられ、3着に敗れた。しかし、ダービーの本追い切りで、スペシャルが極限まで高められた瞬発力を発揮できる状態にあることを、武は確かに感じた。
──ミスとアクシデントさえなければ勝てる。
そう思った彼は、追い切りのあと、
「どんなレースをするかはもちろん、騎乗馬の癖や個性なども、これ以上話したくありません」
と、口を閉ざした。他馬陣営に戦術のヒントになるような情報を与えたくなかったのだ。調教が終わると誰とも話さず帰宅し、何度も週間天気予報を見ては、週末の東京地方が晴れてくれるよう祈った。
98年6月7日、第65回日本ダービー当日の東京競馬場は曇りで、前日の雨のため、芝は稍重だった。
ダービーのゲートがあいた。遅れ気味に出たスペシャルは、向正面入口で掛かるような仕草を見せた。
「掛かるような乗り方をしてこなかった馬で、引っ張り切りの手応えで行けるのだから、不安になるどころか、嬉しくなりました」
自身に「慌てなくても大丈夫だ」と言い聞かせながら道中を進み、そして直線、馬群を割って突き抜けた。
溜めてきた力を一気に爆発させたスペシャルは、2着を5馬身突き放してゴールした。馬場状態に関する懸念は杞憂に終わった。
これが武にとって10度目のダービー参戦であった。
「それまでの9回の敗戦と、ダービーに出ることができなかった馬の背で得たすべてを生かして勝つことができました」
◆作家 島田明宏