漫才師としてだけではない。歌手としても80万枚のヒット曲を放つほど「ザ・ぼんち」は重宝された。コンビの顔であったぼんちおさむ(67)が語る驚愕エピソードとは?
おさむ 潮来の伊太郎~アリ? 怒ったぞ! お、お、お、おさむちゃんで~す。
──いやあ、フルコースの現役感(笑)。さすが、コンビ復活後の18年、文化庁芸術祭で大賞を受賞されただけありますね。
おさむ あの奇妙な動きは、考えて作ったわけやないんですよ。僕、興奮するとガーッとあんな感じになってしまうので(笑)。
──特に「アフタヌーンショー」(テレビ朝日系)の川崎敬三と山本耕一の事件リポートを模したネタは秀逸で、それが「恋のぼんちシート」としてレコードにもなりましたね。
おさむ 川崎さんと山本さんにはホンマにお世話になりました。レコードゆうても「A地点からB地点まで」とか「ちょっと待ってください」「そ~なんです」と、持ちネタそのまんまで。
──MANZAIブームではトップを争う人気コンビ。仕事の忙しさもケタ違いだったんでしょうね。
おさむ 「THE MANZAI」の第1回に出た翌日に飛行機に乗ったら、スチュワーデスさんが「サインください」と。後ろを見て「誰か人気者おるんかいな」と言ったら「ぼんちさんに」と。一晩で人生が変わるんやと思いました。それからは楽屋で点滴を打ちながら仕事してて(笑)。営業もダブルブッキング、トリプルブッキングは当たり前。マネージャーがそれぞれに仕事を書き込むものだから、同じ日の同じ時刻に別々の場所で営業という事態が起こったんです。
──どうするんですか?
おさむ 全盛期に覚えているのは、山梨の甲府と静岡の御前崎がかぶった時のこと。先に甲府に行って、午後3時に登場するはずが、開演と同時の1時に出させてもらって。本来は前座の出番だからお客さんも6割くらい。僕らがパパッとネタをやったら、今の吉本の大崎洋一会長に案内されて、行ったらグラウンドにヘリコプターがあって。
──ヘリで移動ですか!
おさむ そこから御前崎まで30分くらい。また甲府へ戻るはずが途中で視界不良で車に乗り換え、夜10時くらいに到着。また戻っていきましたよ。
──信じられない移動スケジュールですね。そして81年7月21日には、漫才師として史上初の日本武道館でのコンサートまで。
おさむ 1万人がペンライトを振るというのを初めて見ました。そもそも日本にペンライトがそんなにあったんかい、と。
──当時はそうかもしれませんね。
おさむ あの当時、何かおもろいもんないか、おもろいもんないかと日本中が探し回っている時に、若手の漫才がピタッとハマッたんでしょう。
──とりわけ、小学生にはザ・ぼんちの人気が断トツに高く‥‥。
おさむ ネタがわかりやすかったんでしょうね(笑)。