松田聖子と同じサンミュージックから3年先にデビューした太川陽介が言う。
「僕にも名前の候補は2つあって、もう1つは『二宮明』でした。最初は『陽介』が古くさいと思ったけど、今となっては『太川陽介』でよかったと思います」
そして太川は、聖子にも「新田明子」という別の芸名の候補があったと明かす。これを拒否したため、次の候補だった「松田聖子」が繰り上がり、太川の恋人役でドラマデビューした「おだいじに」(79年、日本テレビ系)でも、プロモーションを兼ねて役名を松田聖子にしている。結果論ではなく、この名前のほうが華やかさがあったのだ。
また、聖子がデビュー前から福岡でレッスンをつけた故・平尾昌晃は、女子高生だった聖子のこんな言葉を聞く。
「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」
平尾はその言葉に驚いたという。
「歌手になることを夢見る子は多いが、その先に自分が成功している姿をイメージできている子は珍しい」
そして聖子は、多難な道のりを越えて80年4月1日に「裸足の季節」でデビュー。続く「青い珊瑚礁」が大ヒットして、人気番組「ザ・ベストテン」にも待望のランクインを果たしたのは同年8月14日のこと。この日、聖子は札幌から羽田へ降り立つ時間がちょうど第8位の紹介に重なる。番組は空港や航空会社と協議して、タラップを降りて歌う聖子を映し出すプランを約束させる。ところが、仙台あたりの風の影響で予定より5分ほど早く到着しそうだという。それでは生放送の段取りが実現しなくなる─。
「聖子が乗っているその飛行機を空で止めてくれませんか!」
聖子自身も知らないところで、常識を外れた激しい議論が交わされていた。そして飛行機は、天が味方したのか、もしかしたら要望に応えたのか、予定通りの時間に到着して、聖子は満面の笑みで「青い珊瑚礁」を歌うことになる。
この春、デビュー40周年を迎えた聖子の知られざるエピソードを描いた「1980年の松田聖子」(徳間書店刊)は、時代の空気を鮮やかに味わえる1冊となりそうだ。