バブル前夜に連載が始まった「魁!!男塾」は、本宮ひろ志氏の作品を思わせる画風で、一見シリアス。だが初期には直接的、中盤からは婉曲的な“ギャグ”がちりばめられたとも言える、何とも破天荒な独自世界が繰り広げられていた。豪快な「制作秘話」を、作者の宮下あきら氏が語り尽くした!
「わしが男塾塾長、江田島平八である!!」
このセリフを覚えている人も多いだろう。
男臭い劇画調の絵柄で、長ラン姿の男たちが活躍する姿を描いた、宮下あきらの「魁!!男塾」に登場する江田島平八の決めゼリフだ。
「週刊少年ジャンプ」が発行部数400万部の大台を超えていこうとする1985年に連載がスタートしたこの作品は、当初は80年代の軽い時代の空気を皮肉るような軍人風教育を施す「男塾」を舞台にしたギャグ作品だった。
それが主人公・剣桃太郎と先輩たちとの勝負を皮切りに、徐々に塾生たちの命がけのバトル中心の物語にシフトしていくこととなる。
79年に始まった「キン肉マン」(ゆでたまご)もそうだったように、ギャグ作品から始まったものの、いつしかバトルものへと内容が変化し、人気作になっていくというのは、少年ジャンプにおける一つの黄金パターンとも言える。
「魁!!男塾」はその典型例であると同時に、我々が思い描く“ジャンプらしさ”が詰まった作品だ。
そんな宮下自身が漫画の世界に飛び込むことになるきっかけも、実に当時のジャンプらしい躍動感がある。宮下がこう振り返る。
「20代の半ば頃かな。当時バンドマンをやっていたんだけど、食えなくてさ。それで子供の頃好きだった漫画を描く仕事に就こうと思って、ジャンプに持ち込みに行ったんだ。(「銀牙 ─流れ星 銀─」などで知られる漫画家の)高橋よしひろ先生を紹介されて、そのアシスタントに入ったんだけど、同じフロアで(「男一匹ガキ大将」などを描いていた)本宮ひろ志先生も仕事をしていてね。おふたりのところに出入りしているような形になっていった」
宮下いわく、漫画経験は、「小学校の頃にちょこっと描いてたかな。学校で『うまいね』って言われる子がいるでしょ? そういう子だった」
とか。バンドマンが一転、漫画家になって再スタートを切ろうという決断自体も大胆と言えるが、自身の漫画家デビューのいきさつも作風同様に豪快だ。
「ある日、本宮先生に自分の原稿を読んでもらったら、『おもしろい』って言って、すぐ編集者を呼んでくれてさ。それで、その場で連載決定。いきなり3回連続巻頭カラーで、その時に見せた『私立極道高校』っていう作品の連載が始まったんだよ。ジャンプもあの頃、本当に勇気があったよね。読み切りもなく、いきなり新人の連載決めるんだもん」
即断即決で新人起用。他誌からすれば異例の決断だが、本連載でも触れたように、新人発掘に力を入れる当時の少年ジャンプでは、こんなことも珍しくはなかったのだ。
突如、週刊連載を始めることになった宮下は、その後、集英社の近くにあった「錦友館」というホテルにカンヅメとなり、原稿を描いていくこととなる。このホテルはジャンプ御用達のホテルで、当時も多くの作家が事実上、「住んでいた」状態だったという。