渡辺氏の「懐刀」と評された柿沢氏が、かつて入党を反対された江田氏に急接近し、反旗をひるがえしたきっかけは、大阪維新の会(現・日本維新の会)がみんなの党に接触してきたことだった。当時のことを渡辺氏はこう振り返る。
「昨年の今頃、私は維新の会の“みんなの党を解党して合流して来い”という要求を突っぱねました。当時、維新は単なる政治団体で、みんなの党は衆参2回の選挙を経て16名の集団でした。地方にも300名を超える議員がいた中で、“全部解党して維新に来なさい”というのは代表として絶対に飲めない選択でした。しかし、江田さんと柿沢さんは新党論を主張して、維新と歩調を合わせるようになったのです」
みんなの党の結党宣言には「触媒政党」という言葉がある。政界再編の中心となることを意識したものと思えるのだが、当時の理念を忘れ、“おかしくなった”のは渡辺氏のほうだと、柿沢氏は反論するのだ。
「党の存続にこだわらずに大きな再編の流れを作りだすべきという私の考え方と、党単体としての存続を優先するようになった渡辺代表の考えと、いつしか食い違ったのでしょう。渡辺代表も結党当初は私のように考えていたはずでしたが、どこかで党単体の存続を考えるようになった」
圧倒的な支持率を誇る現在の自民党に、野党がバラバラのままで対抗力を持っていないのが現実だと、柿沢氏は主張するのだ。
「新しい大きな政治の流れを作り出していくことは、国民が求める大義ではないかと私は思います。もちろん、政治的理念の一致がなければ過去の失敗を繰り返すだけですが、可能な限りそれを一致させ、新しい流れを作り出すことは、天から与えられた私の役割だと思っています」
逆に渡辺氏は、“触媒”とは自分自身は変わらずに周りを変えるという意味であり、そんなことさえ理解できない江田、柿沢両氏は“おかしい”と、こう切り返す。
「政界再編は目的でなく、あくまで手段です。政党の目的は政権を取って政策を実現することです。私は親父の代から所属した自民党を離党してみんなの党を作りました。渡辺後援会の人たちを説得する大変な作業もあり、この離党と新党結成は生半可なものではなかった。無所属だった江田さんは、腰掛け気分で党が長続きするとも思っていなかったはず。その覚悟の差が今、明らかに表れているのです。党がなくなってもいいなんて結党宣言のどこにも書いていない。また、党の中にいたら何をやってもいいということになれば、政党とは呼べないでしょう」