それは「濡れる」ということをイメージさせるためか、海や川などの水辺には、妖しい気配が漂っている。ここで紹介する作品群のように…。週刊アサヒ芸能の連載コラムでおなじみ井筒和幸監督の「犬死にせしもの」(86年、松竹)には、これが映画初出演という話題の新人女優が出ている。のちにミリオン歌手となる今井美樹だ。
今井は「ヤクザの情婦」という今では考えられない役で、海賊役の真田広之や佐藤浩市に浜辺で拉致される。一度は海に逃げたものの、捕らえられて再び浜辺へ。
「脱いだらええんやろ!」
覚悟を決めた今井が服を剥ぎ取り、あぐらをかいて座り込む。小ぶりなバストも、ヒップの割れ目も全てさらけ出し、囲まれた男たちに何枚もの写真を撮られる。生涯唯一の脱ぎシーンとなるが、まったく動じたところがないのは、さすが「PRIDE」のせいか。
さて「トレンディー女優」の肩書も今は昔。近年はカルト映画で体を張る有森也実は「いぬむこいり」(17年、太秦)で、顔だけ犬の「犬面人」との変化球的なカラミを見せた。
浜辺にて、動物的な欲望を向ける犬面人に身を任せると、対面の体勢で奥まで深く入れられる。快感に上体をのけぞらせると、スレンダー美バストの頂が夕日に照らされ、トップがピンク色に染まるのだった。五十路を前にして、ヘアまで堂々とそよがせた初脱ぎには、女優としての覚悟が存分に見て取れた。
それまでアイドル的なポジションだった麻生久美子が、女優として一念発起したのが「カンゾー先生」(98年、東映)である。巨匠・今村昌平監督との出会いにより、麻生は女優として脚光を浴びる。漁師の娘・ソノ子に扮した麻生は、アソコに卵を挿入されるなど、脱アイドルの芝居を演じた。ソノ子は貧乏な家族のために、肉体を男に供して生計を立てるという役なのだが、今村演出によって過激なシーンがより際立っていた。ラストは、カンゾー先生(柄本明)と乗った小船で、クジラを見つけて裸のまま海に飛び込む。形のいい乳房と、丸みを帯びたヒップラインが実に美しい。と、自分のヒップを「叩いて」と、 なんと、スパンキングのおねだり。海に浮かぶ小船の上でうつ伏せになり、ヒップを叩く乾いた音を大海原に響かせた。
同じく洋上の初カラミを見せたのは、ベテラン女優の十朱幸代だ。緒形拳の妻でありながら家出中という役で出演した「魚影の群れ」(83年、松竹富士)では、四十路の豊かなバストを初めて披露した。夫の持つ漁船で、4分半もの長く濃厚な情交シーンを見せる。あまりに妖艶な熱演と、緒形という熟達な役者のリードも重なり、「本番ではないのか」と映画関係者に言わしめた白眉のシーンだった。
朝ドラ「ほんまもん」(01~02年)のヒロインも務めた池脇千鶴は、清純派のイメージを打ち破る演技を披露。14年の「そこのみにて光輝く」(東京テアトル)がそれだ。
港町を舞台に、家計を助けるため春をひさぐ女が池脇の役どころ。そのため、父親が寝ている横で、綾野剛に体を与えて切ない声を漏らすことも。クライマックスに訪れた海の中で2人がまぐわうシーンは、日本アカデミー賞優秀主演女優賞に輝く原動力になった。
いずれも、女優としての大きな分岐点に「海辺の情事」を選んだのは、人間の源流を知る思いである。