テリー やっぱり師匠も引退は18歳だったんですか。
鯉斗 はい。たまり場でみんなでテレビを見てる時に、なんか急に「あぁ、こいつらとずっとつきあってたら母親を悲しませるかなぁ」と思っちゃったんですよ。それで何の脈絡もないんですけど、役者になりたいと思って、すぐに東京に出てきちゃったんです。
テリー へぇ、さすがの行動力。でも、男前だし、役者を目指すのはいい判断でしたよね。
鯉斗 ただ、当然ですけど何のツテもなかったから大変でしたね。それなのに「俺は総長だった」みたいなプライドだけはあって‥‥。
テリー 「俺は60人仕切ってたんだぞ」みたいな。
鯉斗 そうです。でも、お金はないですから、まず何かバイトを探さなきゃいけなくて。それで、たまたま行った新宿のレストランのオーナーが、昔ナベプロでミュージシャンをやっていたという人で。「お前、何になりたいんだ」「役者です」って言ったら、「そうか。明日から来い」ということになったんです。
テリー そのへんは運もありますよね。
鯉斗 そうですね。しかも年に2回、その店でうちの師匠(瀧川鯉昇(りしょう))が独演会をやっていて。オーナーが「役者になりたいなら落語ぐらい知っとけ」「お前はコックになるためにいるわけじゃないだろ」って、次の独演会の時に、見せてくれたんです。その時に「落語というのは、究極の一人芝居だな」と。それで打ち上げの席で師匠に「弟子にしてください」って頼んだんです。
テリー 早いなぁ。ほんとに行動力とツキがありますよね。それで弟子入りして、最初はどういうことを教わるんですか。
鯉斗 「まず一人で着物を着られなければ話にならないから」って、着付けから教わりまして。一生懸命覚えて、師匠の家に行って「覚えました!」と。そしたら「次は太鼓だ」って、一番、二番の太鼓を教わって。
テリー 寄席で聞く太鼓は、全部前座さんが打ってるんですよね。
鯉斗 そうですね。そういう前座仕事を2年ぐらいですかねぇ、教わりながらやってました。
テリー 前座って厳しい修行時代だし、理不尽なこともあると思うんですよ。よく辞めなかったですね。
鯉斗 まったく知らない世界ですから新鮮だったし、楽しかったんです。
テリー 暴走族も料理の世界も縦社会じゃないですか。そういうのに慣れていたのもあるんですか。
鯉斗 あぁ、言われてみれば。だから、抵抗は全然なかったですね。まぁ、暴走族と違って、殴られないだけいいかなと(笑)。
テリー アハハ。鯉昇師匠の他にもお世話になる人っているんですか。
鯉斗 当時、落語芸術協会の副会長だった(三遊亭)小遊三師匠に、楽屋入りで挨拶したら「お前、人を殺すような目してんな」「芸人は笑ってなきゃダメなんだよ」って言われたんですよ。それから小遊三師匠の鞄持ちもするようになりまして。
テリー あ、そういうのがあるんだ。
鯉斗 はい、協会内ではあるんです。うちの師匠がいいって言えば。
テリー へぇ~。
鯉斗 だから、小遊三師匠には相当お世話になってますね、今でも。下手すりゃ、うちの師匠よりお世話になってます(笑)。
(アサヒ芸能8月6日号「天才テリー伊藤対談」=3=)