テリー それで8年たって、やめると言ったの?
矢野 というか、2000年に中国のドラマに参加することになって、向こうへ行きます、と。当時、森田さんと同じサンミュージックに所属させてもらってたんですけど、副社長が中国のプロデューサーと知り合って、ドラマを撮るから日本人の留学生役が必要だということでオファーがかかったんです。
テリー その時はどのぐらい中国に行く予定だったの。
矢野 最初は3カ月ですね。北京での撮影で。その撮影が楽しくて、中国でやってみようと決断したんです。それで1年後の2001年4月から北京で生活を始めました。
テリー それはマネージャーも付かず1人で行くの?
矢野 はい。
テリー すごい勇気だよね。1年後だったのは、中国で仕事が決まってたから?
矢野 いえ、決まってないです。ドラマの放送が1年後だったので、そのドラマがヒットするだろうと目安を立てまして。結果、全然ヒットしなかったんですけど。もう「どうしようか」ですよ。軍資金は90万円しかなくて。
テリー 向こうって家賃はどのぐらいなの。
矢野 当時のアパートが1500元で、2万円ちょいですね。まぁ、おんぼろアパートで、今はあんな部屋ないと思います。
テリー 偉いなぁ。
矢野 でも、希望のほうが大きかったですよ。当時、中国を開拓してる日本の役者やタレントはいませんでしたから。だったら俺がやったるみたいな。
テリー 中国語はどうしたんですか。
矢野 行く前に森田さんから「しっかり勉強してこいよ。学費はやるから」っていただいたので、語学学校へ通いました。
テリー 他に日本人もいたんですか。
矢野 いましたけど、自分は避けてましたね。どうしても日本人だけで集まってしまうと、勉強にならないので。
テリー そうだよねぇ。
矢野 でも、あんまり効果はなかったです。やっぱり学校の勉強より、仕事現場のほうが覚えますよね。
テリー 頭いいですよね。だって、中国語って難しいじゃない。
矢野 でも、時間かかりましたよ。「あ、俺、けっこうしゃべれるな」と思ったのは中国へ行ってから6年後ですから。
テリー ある程度、中国語が話せるようになって、向こうの事務所に入るの?
矢野 いえ、当然プロダクションもあるんですけど、向こうは個人で活動している人も多いんですよ。すごく個人とのつながりを大事にするんです。だから、毎日食事や飲みに行ったりして、まぁ時間はかかりますけど、そこから仕事に発展することが多いですね。
テリー 仕事ないのに毎日飲みに行ったりって、お金が大変じゃないですか。
矢野 それが、中国の人って、すごくお客さんを大事にするんですよ。外国の人はお客さん扱いなんですね。「外国から来たお客やから、出さすわけにいかん」と、ほとんどおごってもらってました。
テリー へぇ。なんとなく中国の人って対日感情が悪い気がしますけどね。
矢野 いや、それはもちろんありますよ。でも、個人の関係としてはないですよね。逆に「あんた、よく頑張ってるなぁ」って同情してくれました。