テリー モロさんは、コントや落語もやっていらっしゃるんだよね。役者とコメディアン、どっちが本来の姿なんですか。
師岡 両方やっているという感じですね。両方を目指しているというか、両方やめられないというか。
テリー そもそもは、どういうきっかけでこの道へ?
師岡 大学で演劇研究会だったんで、それからずっとですね。大学を卒業して新劇の劇団に行ったんですけど、食えないんです。ノルマばっかり渡されて。
テリー ノルマっていうのはチケット?
師岡 はい。チケットノルマ。全然お金にならないし、じゃあコントをやろうって、大学の時の友達と一緒にショーパブでコントをやるようになったんですよ。とりあえず役者みたいな仕事だし、それで食いつないで「いずれは役者になりたいな」って思っていたら、そこのショーパブよりストリップ劇場へ行ったほうがもっと修業になるんじゃないのって、ゆーとぴあさんに誘われて。
テリー ゴムパッチンの、ゆーとぴあさん!
師岡 それでちょっと人生を踏み外したようなところもあるんですけど(笑)。渋谷のストリップ劇場、道頓堀劇場でずっとやってたんです。
テリー それはおいくつの時だったんですか?
師岡 24ぐらいですね。そしたらストリップ劇場でやってるのが親にバレちゃって、勘当ですよ。
テリー 「大学卒業してるのに何やってるんだ」と。
師岡 「大学までやったのに、ストリップ劇場か。裸になるようなところじゃないか」と。でも、俺が裸になるわけじゃない(笑)。
テリー ハハハハ。ストリップ劇場にいて、そのあとはどうだったんですか?
師岡 オーディション番組の話が来て、それからテレビに出るようになって、コント番組をずっとやっていました。もともと役者になりたかったので、事務所の人に「ドラマの仕事をお願いします」と言って、何本かやらせてもらうようにはなったんですけど。それもちょっと死んでる役とか、そんなのばっかりでしたね。
テリー 僕はコントでモロさんのことを知ったから、それからシリアスな方向に行ったのかと思ってたけど、むしろ逆だったんだ。
師岡 ええ。新劇から始めたんで、演技のほうが気が楽は楽というか。コントをやってる時、バラエティ番組で「コーナーを回せ」と言われたのに、仕切りが全然できなかったんですよ。ものすごく落ち込んで。
テリー そういう能力は、また違うんだよね。
師岡 そうなんです。決められたネタだったら大丈夫なんですけど、誰かをおもしろおかしく持っていくっていうのはダメですね。
テリー 今の「半沢直樹」のようなシリアス劇と、コントとかのお笑いでは、どっちがお好きなんですか。
師岡 両方とも好きなんです。こっちがイヤだっていうことはないんで。逆に言うと、コントをやっていないと不安になるというか。でも、コントばっかりやっていると、ちょっと落ち着いたものもやりたいなってなるんです。
テリー 役者として、とってもいいポジションにいますよね。
師岡 いいかどうかわかりませんが、好きなことをやらせていただいてはいますね。
テリー 「モロ師岡」という名前は、どうして付けたんですか。
師岡 師岡は本名なんですけど、三谷(幸喜)さんがコントを書いた時に、僕の役名が「師岡モロ」だったんですよ。先輩がそれを芸名にすればいいんじゃないって言うんで、しばらくそれを使ってたんです。でもある日、自分でさかさまにしようと思って「モロ師岡」になりました。