現行のクライマックスシリーズ(CS)が導入されたのは07年。それ以前にもパ・リーグでは04年から06年の3年間、CSの原型となる「プレーオフ制度」が行われた。まず、レギュラーシーズン3位チームと2位チームが第1ステージを3試合制で戦い、その勝者が第2ステージで1位チームと激突。こちらは5試合制だった。日本シリーズに出場するのは第2ステージ勝者である。使用する球場は、それぞれシーズン上位チームの本拠地だ。
ただし、条件付きのアドバンテージもあった。1位チームと第1ステージ勝者とのシーズンのゲーム差が5以上あった場合、第2ステージでは1位チームにあらかじめ1勝が与えられる、というものだ。例えば04年は1位・ダイエーと2位・西武は4.5差だが、3位・日本ハムとは12ゲーム離れていた。もし日本ハムが第2ステージに進んだ場合、ダイエーにアドバンテージが与えられることになっていたのだ(結果は西武が進出)。
ダイエー(05年からはソフトバンク。当時、王貞治監督)はこのプレーオフで悲劇に見舞われる。04年、05年と1位になりながら、プレーオフではそれぞれ西武、ロッテという2位チームを相手に敗退し、日本シリーズ出場はかなわず。04年は三冠王・松中信彦を擁する強力打線だったにもかかわらず、屈辱を味わった。ソフトバンクにとっては、まさに不条理だったろう。
シーズンを3位で終えた06年も、西武との第1ステージを制したものの、1位・日本ハムとの第2ステージで1勝もできずに敗れ、またしても涙を飲んだ。
そして07年、このプレーオフ制度をマイナーチェンジしたCSが、セ・パ同時にスタート。各リーグとも、ファーストステージを3位と2位のチームが3試合制で戦い、その勝者が日本シリーズ出場を賭けて、優勝チームと争う(6試合制)。なお、優勝チームには、セカンドステージを戦うにあたり、無条件に1勝のアドバンテージが与えられている(07年のみアドバンテージなしで、第2ステージは5試合3勝制)。
波乱は07年から起きる。セ2位の中日がパの覇者・日本ハムを制して日本一になったのだ。08年、09年はリーグ優勝チームがそれぞれ日本シリーズで激突したが、10年、西村徳文監督率いるパ3位のロッテがセカンドステージで3勝0敗からの4連勝。リーグ優勝しながら涙を飲んだのは、またしてもソフトバンクだった。さらには日本シリーズで落合・中日をも制し、「史上最大の下剋上」と呼ばれたのは記憶に新しい。
そして今年、またしても「波乱」の予感。それもロッテ以上の衝撃度がありそうな──。