テリー 東海林さんはリポーターとして活躍する前は、ニッポン放送のアナウンサーでしょ。今は女性アナウンサーが番組のメインを務めるのも珍しくないですけど、当時はどういうポジションだったんですか。
東海林 やっぱり男女差別というか、例えばニュースを読むのは男性と決まっていて、「私も読みたい」と言ったら「女が読むと信憑性がないから」って言われるような時代でしたね。給料も男性のほうがウンとよかったんですよ。まぁ、しょうがないと思ってましたけど。
テリー 36歳で退社したのは、どういう理由だったんですか。
東海林 結婚して、子供ができたんです。子育てをしながら、社員として勤めるのはいろいろ迷惑がかかるかなと。
テリー 今は放送業界も、わりと普通に産休や育休が取れますけどね。
東海林 それもやっぱり、そういう時代だったんですよ。それで、出産後はしばらく仕事してなかったんですけど、フジテレビから情報番組みたいなのを始めますって連絡があって。その時は「情報番組」って言葉もなかったんですけど。
テリー あぁ、そうでしたっけ。
東海林 そうなんですよ。で、結局、その番組は奥様向けの月~金のお昼の生放送で。週に一度、都内の大きな団地から生中継があって、テーブルの上に野菜だとか魚だとか、いろいろな産地の食材を並べて、それを説明しながら私が売ったりしてたんです。
テリー テレビショッピングみたいに?
東海林 そうそう。そのあとで本格的なテレビショッピングが始まるんですけど、その元祖ってフジテレビなんですよ。
テリー あ、そうなんだ。
東海林 で、その番組にはカメラが1台しかなくて、モニターもカンペもないし、時間配分もわからないんですよ。だから、ADさんがテーブルの下に潜って、私の足をポンポンって蹴って「終わりですよ」って教えてくれるんです。
テリー すごいな。テレビ草創期の話だから、全てが手探りだ。
東海林 だから、すごくおもしろかったですよ。
テリー 「3時のあなた」でリポーターデビューするのはそのあと?
東海林 その番組が終わって、本格的なテレビショッピングを8年ぐらいやってからです。
テリー ということは、もう40代の後半だ。
東海林 そうですね。そこから十何年。だから、50代はほとんど取材で全国を駆け回ってました。
テリー けっこう遅いデビューだったんですね。事件現場の取材って、何時間も待ったり、帰ってきても取材内容をまとめたり、ハードじゃないですか。
東海林 1日の睡眠は2、3時間でしたかね。私ね、「3時のあなた」の時は専属リポーターで、1週間の拘束料をもらってたんですよ。だから、事件が起きると電話がかかってきて、どこでもすぐに駆けつけなきゃいけないんです。
テリー 「今、手が離せないから」って断れないんだ。
東海林 そうそう。
テリー それで、ご主人とお子さんの世話ってできるんですか。
東海林 全然ダメだったと思いますよ。息子には新聞を見せて「ママ、この取材に行ってくる」って、遊んでるわけじゃないことは伝えたりしてましたけどね。だから、休みの日は、みんなでお好み焼きをやったりとかして。でも、子供たちは寂しかったでしょうね。