1月31日放送の「新米記者・松本穂香です。」(TBSラジオ)に、女優の有村架純がゲスト出演。意外な過去を明かしている。
同番組はパーソナリティーの松本が“新米記者”としてゲストに質問をぶつけるという内容だが、この日は所属事務所であるフラームの先輩にあたる有村が出演した。
松本からの一問一答形式で、役者になりたいと思った時期について「中学3年の15歳」、リラックス法は「運動したり買い物したり、あとはソファとかでひたすらダラダラする」、時間があればいつまででもやっていられることは? の質問には「何かしら観てる。動画とか、漫画、録りためてるドラマ、映画とか」などと答えた有村。そんななか、役者人生で、特に悔しかった思い出は? との質問には「本当にねえ、常に悔しいんだけど、一番やっぱり原点となるのは…」としてフラームの事務所を受けるも一度落ちていた過去を明かし、「学校で母親から電話かかってきて聞いて、誰もいない階段の踊り場で一人で泣いた。悔しい!と思って泣いた」と振り返っていた。
「デビュー当時はオーディション中、監督の要求を聞いているうちにパニックになって泣いてしまい、そこでも悔しい思いをしていたとも語っていました。有村は2009年にフラームに合格後、11年に映画初主演を果たし、その後、13年に出演したNHKの朝ドラ『あまちゃん』に出演したことで一気に注目され、大物女優への階段を昇ることになります。彼女と同世代には武井咲や吉岡里帆、二階堂ふみ、土屋太鳳、川口春奈など実力と人気を兼ね備えた女優が揃い競争も激しい。そんななか、今回明かされたエピソードには有村の負けん気の強さが滲み出ており、そうした面がなければ、ライバル女優たちに勝ち生き残れないということでしょう」(エンタメ誌ライター)
有村は昨年末の連ドラ「姉ちゃんの恋人」(フジテレビ系)で主演を張るも数字的にはイマイチで、昨今は“低視聴率女優”とも囁かれ始めているが、このことについても陰で悔し泣きしているかもしれない。