●ゲスト:中村メイコ(なかむら・めいこ) 1934年、東京都生まれ。2歳の時に映画「江戸っ子、健ちゃん」(P・C・L映画製作所/現在の東宝)にてデビュー。その後、数多くの作品に出演、天才子役として注目される。57年には作曲家・神津善行氏と結婚し、一男二女をもうけ、「神津ファミリー」としても親しまれる。現在は「世界の船旅」(BS朝日)、「サンスター文化の泉ラジオで語る昭和のはなし」(TBSラジオ)にレギュラー出演中。
2歳の時に映画デビュー。天才子役として注目を浴び、エノケン・ロッパ、森繁久彌など、そうそうたる大スターと共演してきた中村メイコが芸能生活85年を迎える。その存在は、もはや日本芸能史の生き字引。その口から語られる貴重なエピソードの数々に、天才テリーも大興奮!
テリー 今年の初めにメイコさんのラジオ(TBSラジオ「サンスター文化の泉ラジオで語る昭和のはなし」)に呼んでいただいて。
中村 楽しかったですね。
テリー また番組以外のところで聞いた話がおもしろくて。特にうちの目の前にあった築地川をモーターボートで走ってたっていう。
中村 メイフラワー号っていう名前を付けてね。自分で乗り回してました。
テリー ひどい話ですよ。当時の我が家なんて、ほんとに貧乏長屋で、こっちは沈みそうな貸しボートで遊んでたんですから。で、モーターボートが近くを通るたびに揺れてほんとに沈みそうになる。ふざけたヤツだと思ってたら、それがメイコさんだった(笑)。
中村 ウフフフ。あのへんは料亭が多くてね、しょっちゅう行ってたんです。店の下にボートを停めて「ちょっと寄って行くわ」なんて。そんな時代だったの。
テリー すごいなぁ。その頃いくつですか。
中村 私、20歳で婚約したんですけど、それより前だから10代ですね、きっと。
テリー その頃の芸能界ってそんなに儲かったの?
中村 そうなんでしょうね。あの頃の映画のギャラが1本いくらなのか、私は知らないんですけど。でも私、しばらく赤坂に住んでたんですね。それはある日、車に乗ってたら、母が外国のおうちみたいな、ちょっとこぎれいな庭付きの家を見つけて「あら、いいわね」って。それで「ママ、ここへ住みたいの? それじゃ気が向かないから断ろうと思ってる映画が1本あるんだけど、出るわ。それで買えば?」って言ったんです。
テリー その映画1本のギャラで家を買ったの?
中村 そう、土地付きで。どういう世の中だったんでしょうね、ほんとに。
テリー いや、こっちのセリフですよ。今、その家は?
中村 どうなっちゃったのかわかんない。今は土地も建物も何にもないですね。
テリー もうメイコさんの話は浮世離れしてるんだよなぁ(笑)。そもそも2歳でデビューして、今年で芸能生活85年ですよね。
中村 そうですね。
テリー それがまず、すごすぎますよね。デビューはどういう経緯で?
中村 あのね、私の父が作家だったでしょう。お友達に横山隆一さんとか漫画家さんが多かったんですね。
テリー 横山さんっていうと「フクちゃん」ですね。
中村 そう。「フクちゃん」はその頃、すごく人気のある新聞の連載漫画で。それに目をつけた当時の東宝の社長が父と仲良しだったみたいで、「おい、君のところのチビを貸せよ」と。それで私、当時はシャーリー・テンプルっていう有名な子役さんみたいに、きれいにパーマをかけてたんですけど、昼寝してる間にバリカンでイガグリ坊主に刈られて。
テリー まぁ、2歳じゃあ問答無用ですよね。で、すぐに天才子役って呼ばれるようになるの?
中村 すぐそういうふうに言うじゃないですか、世の中って。何が天才だかよくわからないですけどね。