実に、17年8月の「ブリヂストン招待」以来の米ツアー勝利が、最高峰のタイトル「マスターズ」だった松山英樹(29)。一時は世界ランキング2位に上りつめるも33位にまで転落。世界の壁に跳ね返される冬の時代を過ごしていた。忸怩たる五里霧中の状況から栄光に導いたのが、昨年末から契約を結んだ目澤秀憲コーチ(30)の存在である。ゴルフ誌ライターが解説する。
「松山はまさにお山の大将で、他人の意見を聞いた試しがなかっただけに大変驚きました。同郷で家族ぐるみの親交がある女子プロの河本結のコーチだった縁で、松山も指導を仰ぐことになったそうです。米国レッスンライセンス『TPI』で最高位となるレベル3の資格を所持する数少ない日本人ですが、フォームやトレーニングについて指導するわけではなく、スイングの軌道や打ち方などを複数の測定器を用いてデータ化し、それをもとに助言を送るアナリストのような役割のようです」
伴走者のような関係性がマッチしたのか、長年の「自己流」では成しえなかった弱点の改善につながったようだ。
一方で、今から10年以上も昔、松山の快挙を想像できただろうか。マスターズを制する日本人は?この問いに誰もがスーパーエリート・石川遼(29)の姿を思い浮かべたはずだ。その「逆転人生」はアマチュア時代にさかのぼる。
「2人が初めて同じ大会で相まみえたのは中学1年生の『全国中学校ゴルフ選手権』。松山は当時から石川の存在を意識していたそうで、『同じ中一なのに、1Wで40ヤード置いてかれた…』と、後にセッティングされた2人の対談で明かしていました。石川が15歳でアマチュアながら国内ツアー初優勝を飾った時の松山は明徳義塾で寮生活を送る一高校生に過ぎなかった。両者の立つステージは段違いでしたよ」(前出・ゴルフ誌ライター)
早咲きの石川は07年のハニカミ旋風を経て、18歳だった09年に“見ごろ”を迎えたが、満開状態はそう長くは続かず…。
4月20日発売の「週刊アサヒ芸能」4月29日号では、グリーンジャケットに袖を通した松山とその勇姿を見つめる石川の「落差」の真相を詳報。日本ゴルフ界を牽引してきた2人の若き天才の分岐点を深堀調査している。