高校時代は、やみくもに多くの試合に出場するのではなく、試合を選んできちんと照準を合わせることで、高2の時には早くも「全国高等学校ゴルフ選手権大会」で優勝するなど、結果を残してきた。
当初は高校卒業してすぐのプロデビューを希望していたそうである。
「『それでは大きく伸びない』と大学進学を勧めました。将来的なアメリカ行きの話もしました。アマチュアでチャンピオンになってからプロ転向したほうが名前も売れて、プロとして値打ちも付きますからね」(高橋氏)
結果、東北福祉大に進学した。同大ゴルフ部の阿部靖彦監督が回想する。
「入部してきた時から、松山は世界で、メジャーで戦う人間になることを強く意識してやってきた。それでも『これだけ練習してます』というのを人に決して見せません。トレーニングの取材は一切受けないですよね」
陰の努力が実を結び、先にも触れたように日本ツアーで優勝を果たした。
「あの時は最終ホールで2オンを狙い、池越えでみごとにピン右60センチにつけイーグルで優勝を決めた。本人も『今なら安全策を取る』と振り返る一打でしたが、ここ一番であれが打てるのは勝負師としての顔を十分すぎるほど見せてくれました」(前出・ゴルフ担当記者)
そして松山がゴルファーとして優れているのは、劇的に勝つことばかりではない。阿部監督が続ける。
「これまでの大学3年間で、いろいろな大会に出場してきました。勝つこともあれば、負けることもあります。『負けても何か1つでも2つでも得てこい』と言って送り出していますが、松山はこうした経験を練習に生かして何をすべきかという意欲がズバ抜けているんです。『これでいい』と納得することがなく、自分に厳しい。昨年8月の『全米アマ選手権』で予選落ちした直後も『どうする?』と聞いたら、『明日、練習しに行っていいですか?』と即答でした。得るものがあれば、熱いうちに打て、というのを感じ取って成長してきました」
さて、アマチュアとして十分すぎるほどの実績をあげた松山だが、常に比較されてきたのが、同学年であり、やはりアマ時代から注目されてプロ入りした石川遼だった。プロ入りは5年も石川が先輩だ。
アマ時代の松山は、石川と比較されても慎重な受け答えが目立っていたが、プロ転向後のインタビューでは、こんな思いを吐露している。
「遼を意識しないようにあえて意識しているというのが本心かな。自分より常に先を行っている存在なので、追いかける立場の自分がライバルというのは違うかもしれない。プロになって少しは近づいたかなと思うけど、追いついたとは思えませんね。だって、自分はようやくプロになったというのに、遼はアメリカですから」