その存在感は、70年代アイドル界を照らした大輪のひまわり。圧倒的な歌唱力と清らかな笑顔で、多くの視聴者に幸福感をもたらしたサッコこと伊藤咲子(63)が振り返る恩師、親友、そして恋人模様とは──。
「森昌子さんが初代チャンピオンを手にした瞬間を友達とテレビで見て、衝撃を受けたんです。私たちと同じ年の子が歌手デビューできるんだ!って」
71年、「スター誕生!」(日本テレビ系)を夢中で見ていた少女時代の伊藤は「あなたも歌がうまいんだからデビューできるわよ」と、毎日のように同級生に背中を押された。
「ある日、目の前に出場希望のハガキを突きつけられて『今ここで書いて』って。ようやく書いて投函したことを、昨日のことのように覚えています」
それがデビューへの切符になるとは、夢にも思わなかったという。73年に「スター誕生!」で優勝すると、74年に阿久悠が作詞した「ひまわり娘」でデビュー。以降、80年まではほとんどの作詞を阿久が手掛けたこともあり、秘蔵っ子としても知られている。
「娘のように可愛がってくださいましたね。レコーディングが新人では異例のロンドンで行われて、パリに寄った時、先生に『お前はどんな歌手になりたいんだ』と聞かれたんです」
その時、伊藤は「化粧バッグを片手にテレビ局のスタジオからスタジオへと駆け回る売れっ子歌手になりたい」と伝えた。
「すると、パリでとっても素敵な化粧バッグを買ってくださったんです。先生は『これを持って、忙しく仕事ができる歌手になれよ』って言いながら。真っ赤な1枚革のバッグ、今でも宝物です」
思い描いた理想はすぐ実現し、大好きな歌を存分に歌える幸せな日々が続いた。さらに、初恋も訪れた。
「75年頃ですね。事務所の社員旅行で熱海に行って、プールサイドで日焼けしていたら、顔がヤケド状態になってしまって。ひどくただれて悩んでいたところ、同じ事務所の城みちるさんが、彼のお姉さんも使っている『よく効く薬』を貸してくれたんです」
「スター誕生!」で同期だった城は薬を渡す際に、
「サッコに会ったら渡そうと思って、ずっと持っていたんだ」
その一言で射抜かれた。
「それから番号を交換して、付き合うきっかけになりました。そのうちマスコミにバレて交際を公にしましたが、今思えば、周りの大人を巻き込んでしまったし、ファンの人も傷つけてしまって‥‥子供でしたね」
熱愛発覚で反省しきりだった17歳、友情が試される試練にも見舞われた。
「堀越学園の入試会場で出会い、意気投合した岩崎宏美さんとは、ずっと信頼し合える友達でした。が、2人の仲を引き裂こうとする大人の策略があったんですよ。『宏美がお前の悪口を言っているぞ』と告げる大人がいて、私は宏美に確認したんです。すると‥‥」
岩崎は「冗談じゃない!私は一切言っていません!」と言って、その大人に食ってかかったという。
「今でも、彼女が歌っている姿を見ると刺激になって、私も頑張ろうと思えます。ずーっと、大切な人です」
現在は毎月約10公演ほどあるコンサート「夢スター『春・秋』」に出演。全国の舞台で歌う伊藤は「毎日楽しく歌えて最高!」と、変わらぬひまわりのような笑顔を咲かせるのだった。