昨年亡くなった作曲家・筒美京平は、日本の歌謡史に巨大な功績を残した。72年に「芽ばえ」でデビューした麻丘めぐみ(65)も、優秀な教え子のひとりだ。
──4月17日・18日には、東京国際フォーラムで「筒美京平の世界inコンサート」が開催されました。
麻丘 豪華な顔ぶれでしたね。郷ひろみさんと同じステージで歌うのは何十年ぶりだろうか、と感慨深いものがありました。
──戦後最大のヒットメーカーゆえ、野口五郎、岩崎宏美、ジュディ・オングなどが大ヒット曲を披露。
麻丘 親友の浅田美代子ちゃんも、それこそ40年振り以上にステージで歌ったと思います。ずっと「どうしよう、どうしよう」と言ってたのが印象的で。
──デビュー曲の「芽ばえ」も、大ヒット曲の「わたしの彼は左きき」(73年)も筒美作品ですね。
麻丘 デビュー曲を作っていただいた時、ディレクターから「キーを半音下げたほうが‥‥」と不安がられたんです。でも筒美先生にきっぱり「あなたは中音域から高音域への鼻にかかった声に哀愁があっていい」と言っていただいて。本当に歌手それぞれの声質を見抜いて、生かしていただいたんだと思います。
──今や一般的な用語になった「ムズキュンな声」の元祖だったように思います。72年は日本レコード大賞の最優秀新人賞、翌73年には「わたしの彼は左きき」で大衆賞を受賞しました。
麻丘 全国の左ききの方々に感謝されまして。ヒット記念パーティーでは、巨人軍の王貞治選手(当時)にも駆けつけていただいて、びっくりしました。縁もゆかりもない雲の上の人でしたから。
──それだけ、歌が社会現象を巻き起こした証明です。
麻丘 そうだったんですかね。私がアイドルとして活動したのは、ほんの3年くらいです。当時は月曜から土曜まで生放送の歌番組があって、それが終われば地方に行ってコンサート。月曜の朝に帰ってきては、レコーディングなどもこなして。週末は空港から会場、ホテルの繰り返しですから、どこかしら記憶に残らない感覚もありましたね。
──観光旅行ではないですものね。
麻丘 浅田美代子ちゃんも、南沙織さんも、同じような生活を過ごしてきて。だから結婚して、いったん引退したのが早かったんだと思います。
──名前が出たおふたりとは、ずっと親友の間柄でいらっしゃるとか。
麻丘 そうですね。私が2人のスケジュールを仕切って(笑)、おいしいものを食べに行ったりしますね。シンシアは私のステージも必ず来てくれて、「ここがいい」とかアドバイスをくれるのでありがたいです。
──いずれもレコ大の新人賞に輝いた3人が、今も交流があるのは奇跡的です。
麻丘 ただ、昨年からのコロナ禍で、そろって顔を合わせることは、今は難しいですね‥‥。筒美先生のコンサートも、出演者全員が抗原検査を受けた上での参加でしたから。私も昨年は29年ぶりに新曲を出したんですけど、その矢先のコロナ禍でツアーなど全て吹っ飛んでしまいました。
──一刻も早く世の中が収まって、歌えるといいですね。
麻丘 そう思います。いかに「昭和歌謡」というものに需要があるかを肌で感じます。私が65歳になっても、歌えば「めぐみちゃん!」と喜んでくれる人たちがいるので、声が出るうちは全国に歌を届けたいです。