テリー 最近はそのお子さん達と一緒にテレビに出ることも多くて、また今年は「仮面ライダー」が50周年じゃないですか。藤岡さんって常に第一線にいて、失礼な言い方になるかもしれませんけど、忘れられたことがないですよね。
藤岡 自分ではあまり意識してませんが、お声がかかって、おかげでこうやって今も現役でやれることに感謝してますね。その中で自分もいろんな学びをさせていただいて。最近は75にして人生を楽しませていただいてるというか。
テリー そこがほんとにすごいと思うんですけれども。最初に仮面ライダーの仕事が来た時は、どう思われたんですか。
藤岡 いやぁ、あの時はものすごい挑戦というのかな、自分にとってワクワクしながらも不安の中でね。私は松竹映画で新人としてスタートしたんですね。それで何本か青春映画を撮ったんですけど、松竹は女優王国なんですよ。それで、もうちょっと自分の肉体を使うようなアクティブな場所が欲しいと思っていた時にたまたま、ある御恩のある方の紹介で、いろんな関係者に会わせていただいて。
テリー それはオーディションみたいなもの?
藤岡 ええ。それで仮面ライダーが決まった時はびっくりしました。実をいうと、新人の僕は松竹とまだ契約が残ってたんですね。当時は、五社協定がありまして。
テリー そうか、他の映画会社の作品には出られなかったんだ。仮面ライダーは東映ですもんね。
藤岡 そうなんですよ。だから、そういった意味でも冒険でね。その時に、御恩のある方は何人もいらっしゃるんですが、私のためにご尽力いただいて、水面下で松竹の重役と話し合ってくれたんですね。それがうまくいきまして、五社協定を超えて仮面ライダーに出演可能になったんです。
テリー ほんとに運がいいというか。
藤岡 だから、ものすごく燃えるものがありましたね。
テリー 実際やってみて、どうだったんですか。
藤岡 これは想像以上に厳しかったです。「技斗(ぎとう)」というんですが、武道とはまったく違うんですね。要するに、画(え)になるアクションというか。それを大野剣友会という当時のスタントマンの人たちが訓練している道場で教えてもらったんですが、そこでかなり厳しい訓練に耐えて、仮面ライダーは出発したんですね。ショッカーの皆さんは、その時に一緒に訓練した仲間なんですよ。
テリー 仮面をかぶって、スーツを着て演技するなんてのも当然初めてですよね。
藤岡 いちばん最初のスーツはレザーだったんですが、これが汗をかくとだんだん締まってくるんですよ。体にピタッとしたサイズで作ったのはいいんですが、あれを着てハードなアクションをやるとどうなるか、というところまでは、想定してなかったんですね。
テリー あの仮面も視界が狭そうですよね。
藤岡 狭いです。かぶってしまうと左右も上下もまったく見えない。あれでバイクの運転なんてほんとに怖いですよ。またライダーのバイクは、普通のバイクにいろんな部品をくっつけてるから、重心が取れなくてバランスが悪いんです。
テリー あぁ、そうか!
藤岡 だから、これはいつか何か起こるんじゃないかなっていう予感が最初からありましたね。
テリー 変身後をスタントマンに任せなかったのは?
藤岡 私の時はそういう条件がなかったんですよ。私が多少体が動くというのと、大型二輪のバイクの経験があったので、自然とそういう話になったのかもしれませんが。私もまだ業界に慣れてなくて、全部自分でやるものだと思ってたんですよ。