テリー 仮面ライダーの人気がどんどん上がっていくのを、どう感じてたんですか。
藤岡 実は私が第1話を見たのは、病院のベッドの上だったんですよ。
テリー そうか、バイク事故で。
藤岡 ええ。10話目の撮影中にコーナーを曲がりきれなくて激突。数十メートルふっ飛んで。大腿骨を複雑骨折する重傷で、再起不能といわれるような状態だったんですね。
テリー あぁ、そんなにヒドかったんですか。
藤岡 通常の手術では一生不自由になると言われました。それでベトナム戦争時に開発された手術があるから試してみるかと提案されて、治る保証はないんですけど、それしか方法がなかったものですから私もOKしました。今も脚に針金が入ってるんですけど。
テリー うわぁ。
藤岡 だから、忘れもしない第1回が放送された1971年4月3日の私は打ちひしがれた状態で、涙が止まらなかったですね。
テリー 元気な自分が写ってるんですもんね。
藤岡 それも、これから治るかどうかわからないという状況ですから。それで、何としても治したいという気持ちがより強くなって、そこから私の戦いが始まったんです。
テリー でも主役がいなくなっちゃったんですから制作サイドは大変ですよね。
藤岡 もう番組が成立するかどうかという大問題ですよね。だから私を早いこと殺して他の人間に代えるか、私を待つかという‥‥。ただ、その時に1人のプロデューサーの方が、ほんとに御恩のある方なんですが、私の再起を待つべきだということを提案してくれて。スタントも使わずに彼が命を賭けて起きた事故なんだからと。治る保証もないのに、それを皆さんも受け入れてくれて。
テリー スタッフの方々にとっても賭けですよね。
藤岡 それで私が戻ってくるまでの間を、劇団の同期だった佐々木剛君が、引き受けてくれて。
テリー 仮面ライダー2号ですね。
藤岡 それがきっかけで、3号4号と続いて、今では何十人ものライダーが誕生してるんですから、ほんとにケガの功名ですよね。
テリー 藤岡さんがケガしてくれたおかげでライダーが50年も続いた。
藤岡 いやいや(笑)。それと私を戻すと決めてくれた、心あるスタッフのおかげですね。
テリー 復帰してからもライダーはバイクに乗ってたじゃないですか。恐怖心はなかったんですか。
藤岡 いえ、恐怖でしたよ。復帰したらすぐバイクに乗ってくれって言われて。しかも事故を起こしたのと同じバイクですから。見たとたんに震えましたね。
テリー スタッフ、鬼じゃないですか。
藤岡 でも、これをやらなければ私はもうダメなんだという思いで臨みましたね。ただ、その後どうやって走ったか記憶がないんですよ。脚に鉄の棒が入ってたんですけど、もしそれが曲がってしまうと、一生抜けなくて不自由になるから。くれぐれも気をつけてくれと言われたんですけど、そういう現場ですから何が起こるかわからない。
テリー ねぇ。普通に転倒だってあるし。
藤岡 それでワーッと走っていったら腰のあたりが何かおかしくて手を入れたら血がついてたんですよ。鉄の棒を入れたところが、裂けて血が出てたんです。ヤバいと思って、ガムテープでグルグル巻きにして、撮影に戻ったんですけど。
テリー えぇっ!?
藤岡 まぁ、都内に戻ってレントゲンを撮ったら、結果的には大丈夫だったんです。だから私の人生、波乱万丈というか、ずっと順調じゃないんですよね(苦笑)。