デスクが言う。
「しかし、落合氏は『お前が行かないでどうするんだ。オレが金を出してやるからお母さんとお姉さんを呼べ』と言って井端の実家にも電話をした。母親に『こちらがお金を出しますから来てください』と頼んだほどです。それが落合政権終盤になってなぜか関係は急速に悪化。2人の間には冷えきった空気が流れていました。思い当たるのはやはり、あのコンバートですね」
中日は12球団一と称される、他球団もうらやむ鉄壁の二遊間を誇っていた。すなわち、二塁・荒木雅博(36)と遊撃・井端の「アライバ」コンビである。落合氏は10年、この2人の守備位置を入れ替える仰天策に出た。球団関係者が明かす。
「遊撃守備に強いこだわりを持っていた井端は監督の落合氏には直接言えませんでしたが、森繁和ヘッドコーチには『何で二塁をやらなきゃいけないんですか』と不満をぶつけていた。しかも、どちらかというと荒木のためのコンバートだったということも、気に入らない理由でした。落合氏は森ヘッドに『荒木の将来を考えると‥‥』と、選手寿命を延ばすための措置であることを説明した。それが井端の耳に入り、『オレの将来じゃないのか』と憤慨したんです。そこから落合氏に対する不信感が広がっていった」
井端は落合氏の監督退任までの2年間、二塁の守備をこなしたが、落合氏退任後に高木体制となったフロントの幹部に対し、「ありがとうございました」と感謝の言葉を伝えたという。
「落合氏を切ってくれてありがとう、という意味ですが、一選手の発言としては問題だと言えるでしょう。それがのちに落合氏の耳にも入った、と。実際、高木政権発足後すぐ、自分の希望で遊撃に戻り、オレ流に反旗を翻す形になりました」
落合氏にとっては、おもしろかろうはずはない。
さらに「WBC問題」も影を落とした。落合政権時、中日は1人もWBCに選手を派遣せず、原辰徳代表監督が非協力的な姿勢に批判コメントを出したものだった。落合氏が重視するのはあくまで、ペナントレースで全力を発揮するための調整だからである。
ところが、井端は今年のWBCに出場。「神のバッティング」と称賛される大活躍を果たしたものの、
「シーズンに入ったとたんに不振に陥った。7月と9月には二軍落ちも経験し、100試合出場で、わずか77安打、打率2割3分6厘という成績に終わっています。落合氏にしてみれば、ペナントレースに照準を合わせられなかったのが不満。『それみたことか』という感じです」(前出・デスク)
落合氏にとって井端は「問題児」と化してしまっていたのだろう。