「オールスター9連続三振」「江夏の21球」などの逸話を持つ、元プロ野球選手の江夏豊氏。最多勝2度、最優秀防御率1度、最優秀救援投手5度、最多奪三振6度など数多くのタイトルを獲り、シーズン401奪三振は今も破られぬ日本記録である。その江夏氏、根っから野球好きの少年かと思いきや、意外にも「好きで野球部に入ったわけじゃなかった」と、初耳な話を動画で披露していた。
日本プロ野球名球会が運営する公式のYouTubeチャンネル〈日本プロ野球名球会チャンネル〉がそれで、江夏氏が出演した去る5月16日の投稿回で、江夏氏は、周りの友人が皆野球部に入ったから、つられるように入部したと、まずは回顧。ところが入部してしばらくの間は、野球をさせてもらえずグラウンド整備と、球拾いの日々にウンザリして先輩に掛け合うと、これが乱闘騒ぎに発展し、退部となってしまったというのだ。
責任を感じた顧問の「杉山先生」も野球部を退き、代わって陸上部の顧問に。そして、そこに江夏氏を引っ張り、砲丸投げを指導。江夏氏の地肩の強さはここで培われたようで、瞬く間に兵庫県大会で優勝、そして近畿大会で2位の成績を残したことから、当時の夢は「オリンピックに出るんだ!」だったのだと明かしている。
当時、中学を卒業すると半分は就職する時代。就職するつもりの江夏少年に、高校で野球することを強く要望した杉山先生。これに応える形で大阪学院大学高等学校の野球部に入部した江夏氏。杉山先生なくして、江夏氏のプロ転向後の快進撃、ならびにファンを魅了する投球術はなかったわけだ。師弟関係とは何かを考えさせてくれ、なおかつ心温まるお話が拝聴できる動画であった。
(ユーチューブライター・所ひで)