雅子さまの「適応障害」が発表されたのは、愛子内親王(19)の誕生から3年後の、04年7月のことだった。当時の様子を皇室ジャーナリストに聞くと、
「前年に帯状疱疹を発症したことから、公務を休まれるようになりました。当時の雅子さまは、皇室という民間とまったく別の環境に入られた重圧に加え、愛子さまご出産後で第二子となる男子出産の過剰な期待などが重なり、とてもお疲れになっていました。また、ひとつの公務にあたっても資料の読み込みなどをおろそかにしない、ご自身の完璧主義も手伝ったのでしょう。体調不良で公務を全うできないことも少なからずあり、それ自体が精神的にも負担になっていたように見受けられます。結局、発表から約2年間、ほとんど公式的な場に立たれることはありませんでした」
その後、会見場所を住まいであった赤坂御所から宮内庁に変更することで、プライベートと公務の切り替えをするようにした。御所の私室部分には職員も近づけないような措置が取られ、06年にオランダへの静養旅行を行ったことで、容体は徐々に回復傾向に転じたという。とはいえ、現在に至るまでに「全快した」という発表はなされていない。
「その後を見ていても、ご体調には波があるようで、例えば午前中の公務を行われた後、午後から予定されていた公務を欠席される、ということもありました。雅子さまの場合は、20年近く、浮き沈みのある中でどうにかいい状態を保とう、という形で適応障害に向き合ってこられたのです」(皇室ジャーナリスト)
こうした状況は、同じ適応障害に直面している深田もまた職業柄、絶えず衆目にさらされている、という点では雅子さまと共通点がある。
つまり先例を見るにつけ、深田がこの先5年、10年と、この「適応障害」にさいなまれ続ける可能性は、絶対にないとは言い切れないのだ。所属事務所関係者が続ける。
「事務所としては、現時点でドラマの放送予定だった9月頃までは休養に充てることを決めているようです。ですが、その時に深田さんが健康な状態にあるとは限らないわけで‥‥。雅子さまのように不調が長引くようなら『引退危機』すら浮上しかねない、というのが現状だと思います」