テリー 話し方の知識はどこで学んだんですか。
魚住 発声や原稿を読むスキルは、高校生の時、めちゃくちゃ練習したので、そこからですね。話し方は日本テレビのアナウンサー時代にたくさん失敗したことが生きてると思います。頭が真っ白になって内容が飛んでしまうとか、インタビューで相手の話を引き出せないとか、きっとテリーさんがディレクターだったら、すごく怒られてると思います。あと、自分の父がすごくコミュニケーションを大事にする人で。
テリー へぇ。お医者さんでしたっけ。
魚住 はい。先日、亡くなったんですけど、改めて思い返すと、人の話をきっちり聞くことを大切にする人だったんです。父が話している時は、話し終わるまでひたすら聞くという。
テリー お父さんは、家で何を話すんですか。うちの父親なんて、新聞見ながら「ジャイアンツ戦やってるか?」ぐらいしか話さない人でしたけど。
魚住 すごく知的探求心の強い人でした。人類の歴史とか、世界の歴史とか、動物の話、自然界の話、医療の話なんかを、2時間ぐらいしゃべる父親でした。
テリー やっかいな親父ですね。それは魚住さんがいくつぐらいの時?
魚住 私が理解できるようになった頃ですから、小学校1、2年生ぐらいからです。私も含めてきょうだい3人で、母もいましたから、聴衆が4人いたんですよ。それで「わしが今からしゃべるので聞きなさい」みたいな。講義を受けてるようで、ちゃんと話を聞くと知らないことを知れる喜びがあって、楽しかったですね。
テリー それは、すごい素敵な。今となってみれば誇りを持てる家庭ですね。
魚住 それで、聞く力みたいなものは養われたかなと思います。
テリー アナウンサーにはいつ頃からなろうと思ったんですか。
魚住 もともとはピアニストになりたかったんですが、音楽で食べていくのはすごく大変だということに、中学生ぐらいで気がつきまして。ただ、音声表現が好きだったので、自分の声や楽器を使った仕事をやりたいなと。アナウンサーは選択肢のひとつで、声優やラジオのDJとかも考えてました。
テリー 放送局はいくつ受けたんですか。
魚住 フジテレビとTBSと日本テレビです。TBSは最終面接まで行きましたけど、最後に日テレが採ってくれました。
テリー 日テレはどんなところでした?
魚住 すごく厳しかったです。上下関係や服装や立ち居振る舞い、普段の生活の態度。「そういうものはすべて視聴者に見抜かれるから」と、すごく丁寧に厳しく指導をしていただきました。その教えがあったからこそ、今、フリーでもお仕事がいただけてるのかもしれないです。
テリー 95年入社っていうと、フジテレビの女子アナブームもあって、もうかなり華やかですよね。
魚住 そうですね。私はフジの河野(景子)さんとかより全然下の世代なので。そういう方たちを見ながら、すごい華やかだなと。
テリー 当時、日テレだと誰が人気でした?
魚住 私のちょっと上が大神(いずみ)さんなんですよ。可愛かったですね。「ほんとにこんなアイドルみたいに可愛い人がいるんだ。やっぱり東京はすごいな」って、びっくりしました。
テリー 魚住さんだって、その一人じゃない。
魚住 いえいえ。ほんとに私なんて場違いで。「こんなところに入って大丈夫かな」「やっていけるかな」と思ってました。