相手がいない分、“女性自身”がネを上げるまでは止まらない。まして、自分の感じるスポットは自分がいちばん知っているだけに、なおさら快楽の頂点を目指してしまう。そんな悩ましい「自分で慰めるシーン」を味わい尽くす。
吉永小百合は言わずと知れた大女優。10代でスターとなり、清純派一直線だった。が、70年代からはベッドシーンに挑戦してきた。
「いずれも過激度はさほどではありませんが」と話す芸能評論家の沖直人氏によれば、「ありがたいことに」吉永は自分で慰めるシーンを「3回も演じている」とのこと。
「1作目が『青春の門』(75年、東宝)。死んだ夫を思い出し、自ら慰める姿は多くのサユリストにショックを与えた」(沖氏)
沖氏によれば、より艶っぽいのは「2作目のほう」で、同作では2回も自分で慰めるシーンを熱演しているという。
それは映画「天国の駅」(84年、東映)でのことだ。作中で2人目の夫にあたる津川雅彦から「自分で慰めてみろ!」と強制慰め指令を。最初こそ嫌がる素振りを見せるが、立ったまま和服の前をはだけさせ、津川に手をつかまれて執拗に女唇を擦られる。すると、歓喜の声を上げて、吉永はヘナヘナと座り込んでしまう。焦点の定まらない瞳と額の汗、ぴくぴくと反応する体。どこをとっても、その昇り詰める様子は「ドMに仕込まれる様子」にしか見えない。また、吉永が自分を慰める行為に手馴れていることも奏功したはず。なんせ序盤でもムラムラを抑えるために指技を披露するほど、性的欲望が過多な女という設定なのだ。映画ライターの若月祐二氏が解説する。
「監督は吉永が怖がらないように、事前に細かく絵コンテを切って、説明したそうです。つまり、吉永にしてみれば、オーダー通りに演じただけとなります」
そう思わせないのは、昭和の大女優らしい演技力のおかげということか。
もうひとりの大物女優、岩下志麻も激しい自分で慰めるシーンを披露したことがある。映画「悪霊島」(81年、日本ヘラルド)でのこと。
物語後半、和服姿で現れた岩下は手鏡を立てかけて、小指で唇に紅を差す。妖艶な表情が鏡に映し出されると、突如として「あなたは、もう死んだんよ。出てこんといて、お願いじゃけ」とつぶやく。だが、どうにも抑えきれずに両手を股の間に。和服は乱れて白い襦袢が全見えになっても、指の動きは止まらない。それどころか、花芯全体を揉むように激しくまさぐっていく。ついには仰向けに倒れ込み、体を震わせて果ててしまう。先ほどまでの艶っぽいアエギ声は、いつしか野獣のような叫び声に変わっていた。
前出の沖氏が解説するには、「岩下が演じたのは多重人格の女性」だそうで、もうひとつの激しくいやらしい女性に豹変する契機が自分で慰める行為だったのだとか。
「同作品のメガホンを執ったのは夫の篠田正浩監督。野獣のように感じる姿は、私生活で岩下が見せる夜の顔なのでは…と錯覚させるほどでした」(沖氏)
「自分で慰める」競演は昭和だけでなく、平成でも展開された。尾野真千子と真木よう子による「一糸まとわぬ姿で自分を慰める艶技」である。映画「真幸くあらば」(10年、ティ・ジョイ)で、尾野は愛した死刑囚と結ばれたいと、刑務所の中と外で同時刻にシンクロでプレイ。片や真木は「ベロニカは死ぬことにした」(06年、角川映画)で、愛する男性の目の前で行為を見せつける。芸能ライターによると、
「巨バストを震わせながら、よがり果てる真木も圧巻です。が、本気度は尾野のほうが上でしょう。作中で『クチュクチュ』という音が、かすかに聞こえてくる場面があるのです。のちに尾野は前張りをしなかったと告白していますから、あの音はもしかして…」
昭和と平成に続き、この令和でも美女たちの自分で慰める艶技の競演を拝みたいものだ。