劇場版の「夢千代日記」における浦山の演出方法や撮影進行は、主演の吉永だけでなく、配給の東映とも深刻な対立を招いた。最も象徴的だったのが、ついに夢千代に死が訪れる場面である。ここで浦山は、早坂のシナリオにない要求をした。
「夢千代が死ぬ間際に『原爆が憎い!』と叫んでください」
早坂は耳を疑ったが、これに対する吉永の言葉は、浦山を呆然とさせるものだった。
「私はそのセリフは言えません」
早坂は、浦山の心中をおもんぱかった。自分が育てた女優に否定されるのは、激烈なショックだろう。ただし、4年にわたって夢千代を演じてきた吉永のほうに分があるのは自明の理であった。
「小百合さんは夢千代を体の中に取り込んでいる。そのうえで取り乱すようなセリフは言えなかったはずだよ」
人々を助けることで自分の短い余命を受け入れ、かすかな炎を燃やす。それが早坂と作り上げた吉永なりの「夢千代像」だった。
こうした齟齬も含め、ドラマ版が芸術選奨文部大臣賞など多くの賞に輝いたのに比べ、劇場版の評価は芳しくなかった。さらに浦山は、公開の4カ月後に55年の短い生涯を終えている。撮影以前から酒色に溺れた身ではあったが、吉永に否定されたことで、前にも増して酒びたりの日々を送っていたという‥‥。
さて吉永は同じ時期、70年代の低迷を吹き飛ばすかのように、精力的に作品を重ねる。監督の出目昌伸は、吉永の新たな面を何度となく引き出している。
「最初はスペシャルドラマの『吉田茂』(83年/フジテレビ)で組んだ。吉田茂の娘の麻生和子役を演じてもらった。キャリア的には向こうが先輩だから、どうこう注文をつけることもありません」
この翌年、出目はスクリーンでの吉永と、そして脚本の早坂と初めて組む。戦後初の女性死刑執行者となった「ホテル日本閣事件」(60〜61年)の小林カウをモデルにした「天国の駅」(東映)のこと。
デビュー以来、不治の病や恋人との心中で命を亡くす役は少なくなかったが、さすがに死刑囚は初めてのことである。出目は今でも「非常に好きな作品」と言い、貴重な体験だったと回想する。
「恐らく、ああした役は2度とやらないと思う。役者が今までにないような役に意欲を燃やし、そこに世の中の人たちも興味を持った。吉永君のそういう時期に遭遇したのは幸せでしたね」
吉永が演じた林葉かよは、その美貌が招いた運命のいたずらで2人の夫を殺害してしまう。そこには、満たされぬ愛欲が何重にも取り巻いていた。
脚本の早坂は、事件の現場を何度となく訪れ、シナリオのための取材を重ねる。モデルとなった小林カウは、一人寝ができないほど「性に飢えた女」だった。
「さすがに吉永さんに『性の渇き』を前面には出せないが、それなら『愛の渇き』を描いてみようと思った」
間もなく四十路になろうかという女ざかりの頃である。