昨シーズン中、和田豊監督(51)に降りかかった、ものまねタレント・星奈々との不倫暴露騒動を揶揄して笑いを取るアニキ。和田監督が送信した〈奈々!俺にもチュッは?(笑)〉〈また湯船に浸かって、ちょっと恥ずかしそうな顔のかわいい奈々を見せてね!チュッ〉などの恥ずかしすぎるメールに、選手もファンも困惑した一件だ。
このあと、語りぐさとなっているあの「片手打ち」の秘話へ。04年7月、中日・岩瀬仁紀(39)から左手首に死球を受け、軟骨剥離骨折。だが、翌日の巨人戦は右手一本でスイング、2安打する離れ業をやってのけた。
「(死球骨折した)3日後に(連続試合フルイニング出場の)日本記録が迫ってたんですね。でも痛くてグローブもはめられない。走れないし、痛み止めがまったく効かないし。『あぁ、俺の運命こうなんだな』と思っていたら岡田(彰布)監督が『そんなん、ええやん。出られるやろ』と言うんですよ。『いや、よくないですよ』と。『無理です』と言ったんですけど『ええから。打席立っとったらええし、(守備で)打球来たらセンター赤星呼んどけ』。これ、ホントに(岡田監督が)言ったんですよ。『いや、でもライナーやったら捕れません』言うたら『お、そうかぁ‥‥』。でもまぁ、僕もここまできたら記録を達成したいし、『監督がそこまで言うんなら頑張ります』と」
──で、片手でヒット。
「そこから打率が上がっていったんですね、片手打ちのほうが。さすがにホームランは(骨折以降)2、3本しか出なかったんですけど、ケガしてから1カ月間の打率が3割9分で、今まで両手で打ってた俺は何だったんだろうと‥‥」
あの涙を誘う名場面の裏には、漫才のようなやり取りが潜んでいたのだ。
ここで会場の野球少年3人をアニキが指名、壇上に呼んで質問コーナーへ。少年の一人がこう聞いた。
「一日にどれくらいバットを振っていましたか」
アニキは現役時代の陰の努力を明かしてくれた。
「シーズンオフ、若い時は800から1000近く振ってた。それだけ振ろうと思えば、2時間から2時間半かかります。なのに新井の弟はですね、30分ぐらいスイングに行って、新聞記者に聞かれたら『1500振りました』って言うんです。こういうウソつきはダメだよ」
デスクは言う。
「素振りの多さは広島イズム。広島に入団して最初の2年間は試合に出られず、バットを振りまくる猛特訓を受けた。それに比べたら、新井良ら阪神の選手の素振りは練習とは言えない、ということを伝えたかったのだと思います」
兄に続いて弟もシバきあげ、ユニホーム姿の少年に「野球人としての心得」を説くと、続けてプロとしての努力について語り始めたのだったが──。