03年、阪神は星野仙一監督(現楽天監督)の下で破竹の快進撃を続け、18年ぶりのリーグ優勝を飾る。その発端となったのが俗に言う「横浜銀行」の存在だ。対横浜戦は怒濤の22勝6敗。この貯金がそのまま優勝につながったと言っても過言ではなかった。
だが翌年、岡田監督に代わると、開幕戦で巨人に3連勝後、横浜にまさかの3連敗を喫する。
「(03年の優勝で、この年は)すっごいプレッシャーを感じて開幕迎えたのを覚えているんですよ。今年も連覇だ、と思ったら横浜に3連敗したんですよね、ハマスタで。そんな時に岡田さんがチームに活を入れたのを覚えてます」
ミーティングで岡田監督は開口一番、「そんなもん、わかってるやろ」と憤怒したという。ただ、岡田監督は言葉を省略したり、主語が最後に来るような難解な話しっぷりで、チンプンカンプン。選手同士が顔を見合わせる中、「あれだけ勝っとるんやから、今年は何が何でも阪神倒しに来てることくらいわかっとるやろ」と言い放ったことで選手らもようやく理解したとか。
「まあ(岡田氏は)不思議な魅力を持ってるんですよね。何で好きかというと、僕を4番にしてくれたんですよ。おかげでMVP取れたんです」
星野政権時の阪神は「2番・赤星、3番・金本」のコンビがみごとにかみ合い、優勝に貢献。しかし岡田監督は3番打者としてチームバッティングに徹するアニキに「お前、チームバッティングなんてせんでええんや。お前がホームランを打つのがチームバッティングや。勝つためにホームランを打てばええんや」と言い放ち、アニキを4番に据えたのだという。
「普通変えないですよね。3番打ってた僕を4番にして。せっかく機能していた2番、3番を崩して僕を4番にするのは、藤川球児を先発にするようなもんですよ」
さらに、岡田監督は藤川をクローザーに抜擢し、久保田智之、ウィリアムズと「JFK」体制を作り上げ、阪神の黄金期を築き上げた。この起用方法は岡田監督の前任者である星野監督とは正反対。これをネタにアニキは、
「それだけ星野さんのことがイヤだったのかなぁ」
とニンマリ。スポーツ誌デスクによれば、
「北京五輪の代表として戦った主力選手が故障して、岡田さんは星野さんに対して不信感を募らせた。でもこうした確執は、実は岡田さんが監督に就任する前からもあったんですがね」
ここでアニキはなんと、みずからの引退の舞台裏について語り始めた。本人はどうやら晩節を汚したと考えているようで、
「僕ももう少し早く辞めていればもっと印象よかったと思うんですけどね。そこまで計算できなかったなぁ‥‥」
右肩の腱が切れるなど、満足なスローングができない守備にブーイングが巻き起こったことを指しているのだろう。
そして最後は、阪神の主力をイジッて締める。
「ちょっと調子が悪かったら痛いというんです、最近の選手は。西岡(剛=29=)のことを言ってるんじゃないですよ。誰も言ってないですよ、西岡のことは(笑)」
まさしく的を射た暴露話。というのも、
「西岡はちょっと調子を崩すと、ケガでもないのにすぐ二軍に逃げる」(阪神担当記者)
90分間に及ぶ爆弾投下にも、まだまだ話し足りない様子のアニキだった。