「記念日はひとつに統一したほうが覚えやすいし、まあ、その程度です」
2000年1月14日、離婚記者会見を開いた小柳ルミ子は、離婚届を提出した日が、結婚記念日と同じ1月6日だったことを質問され、こともなげにそう答えた。
小柳が13歳年下のバックダンサー・大澄賢也と結婚式を挙げたのは、89年。結婚式の最中には7回キスを交わし、披露宴後の記者会見でも「いつも体の一部をくっつけていないと不安なの」と、アツアツぶりを披露したものだ。
ところが8年後の97年1月6日、突然、大澄が「不貞をしていた」と告白。自宅を飛び出して別居生活が始まったが、小柳は「絶対に離婚しません」と宣言し、頑として離婚に応じることはなかった。
しかし、大澄の決意は変わらず、別居から3年目となる2000年、ついに2人は11年間の結婚生活に幕を下ろしたのだった。
だが、この記者会見で小柳の口から語られた、離婚についての条件が凄かった。
「バラエティーなどのタレント活動をやめて、まったく無名のダンサーとしてやっていくか。それとも今のまま働いて、私に慰謝料を払ってくれるか。彼は慰謝料を選んだんです。男として、社会人として、自分のしたことには自分で責任を取ってほしい。社会はそんなに甘くないですから」
こう語る彼女の言葉に、報道陣からどよめきが起こったものだ。
一夜明けた15日。仕事先のイタリアから帰国した大澄も緊急記者会見を開き、
「彼女に子供を生んでもらうのが、夫婦としての唯一のことだった。でもそれを否定され、ただのパートナーなのかと…。この時に、別れた方がいいと決心したんです。後悔はないです。彼女のことが重い存在でした」
緊張した面持ちで言葉を選ぶ大澄。慰謝料について聞かれると、複雑な心境を吐露。
「2週間、考えました。大変な額で何年かかるかはわかりませんが、10年をメドに…」
その険しい表情からは、小柳から突き付けられた慰謝料が億を下らないであろうことが、容易に想像できた。
結果、この会見を最後に、2人の離婚問題には終止符が打たれたが、具体的な慰謝料について語られることはなかった。
だが近年になり、テレビ番組に出演した小柳は、1億円と言われた慰謝料について、
「ごめんなさい。これは、私、墓場まで持っていきたいんです」
一方の大澄も、バラエティー番組で、
「ある意味、冷静な自分を見失っていたかもしれません」
と答えている。
ただ、結婚記念日を選んで離婚届を提出した小柳に、女の執念を感じずにはいられなかった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。