東京へはもう何度も行きましたね…と、カラオケで歌ったことのある中高年は少なくないだろう。1974年のミリオンセラー「東京」。この曲を歌った3人組フォークグループ「マイ・ペース」のリードボーカル森田貢さんが6月18日、急性骨髄性白血病で死去した。68歳とまだ若く、歌に馴染んだ世代にとってはショックなニュースだった。
秋田出身の森田さんは高校1年の時、中学時代の同級生と3人で「マイ・ペース」の前身グループを結成。その後、「マイ・ペース」と改名し、名古屋で活動していたが、74年に「東京」でデビューすると、いきなりミリオンセラーを記録した。森田さんを取材したことのあるベテラン記者が回想する。
「『東京』という曲は、東京に暮らす女性と、地方に住む男性の切ない恋愛の歌で、森田さんが実体験をもとに作った歌でした。ヒット当時、森田さんはモデルとなった女性と交際していたので、その女性は大ヒットをとても喜んでくれたそうですよ。ただ、その後は別れてしまい、別々の道を進んだようですが」
「マイ・ペース」のメンバーも別々の道へ進んだ。「東京」は大ヒットしたが、芸能界志向ではなかった3人はうまく業界の波に乗れず、数年で1人が脱退。その後は森田さんら2人で活動をしていたが、歌だけで生活するのは厳しく、森田さんはやがて裏方に回り、制作会社で音の打ち込みなど音響の仕事をしていた。
裏方の仕事を楽しんでいた森田さんだったが、99年頃からまたライブハウスで歌うようになり00年、22年ぶりにソロでCDをリリース。10年には「マイ・ペース」のオリジナルメンバーで活動を再開していた。先のベテラン記者は、
「大ヒットした当時、3人は恵比寿駅近くのマンションで一緒に暮らしていました。2段ベッドで寝起きし、つましく自炊をしていたそうです。当時は山口百恵や桜田淳子らが活躍していた時代。特に桜田淳子は同じ秋田出身だったので、仲良くしてくれたそうで、森田さんは『かわいかったですよ』と懐かしそうに話していました。『マイ・ペース』のほかの2人はグループを離れた後、大企業に就職したり、レコード店の店長をしたりしていたそうですが、3人の絆は深く、よく連絡を取り合ったと森田さんは語っていました」
確かにそうだったのだろう。メンバーのひとりが森田さんの最期を看取った、と報じられた。訃報に接し、あの素朴な歌声をまた聴きたいと思った人は多いのではないか。